
2016年5月にOAされたテレビ朝日番組「しくじり先生」に登場されたサイエンスプロデューサー・米村でんじろう先生の半生がとても興味深い内容でしたのでざっとご紹介させていただきます。
※記憶があいまいなところもあるので、一部正確ではない部分があるかもしれません。
でんじろう先生の功績やイメージからも、どこもしくじっていないと思わせられましたが、学生時代から予想以上に苦労を重ねてこられたようです。
小中学校時代は極度の人見知りで集団生活に馴染めずに、一人で家で過ごしている時間が多かったようです。
肝心の学業の成績も好きな理科以外はほとんど出来ずに(5段階中の2くらい)落ちこぼれの部類だったようです。
初めての大きな挫折としては、大学受験でした。
我流の勉強法で3浪の末、東京学芸大学の教育学部に進学することになります。
はなから教員志望ではなくて、そこしか受からなかったからといった流れで決めたようです。
大学入学も得意の理系分野ですら内容が難解で、単位も随分落としたようです。
この時期は、コンプレックスの塊だったようですが「俺はまだ本気を出していないだけ」という内なる潜在能力を信じていたことが本人のプライドを保っていたようです。
卒業後は周りのほとんどが教員を目指しているという事情から教員採用試験を受けたところ、見事に一次試験を突破しました。
しかし、そのタイミングに来てまだ社会に進出する勇気がなかったのを理由に、大学院へと進路を切り替えることになります。
修士課程修了後も就職という道ではなくて、研究者を目指してドクターコースのある大学院を受けては落ちてを繰り返して3年の歳月が流れ、気がつけば29歳になっていました。
そんな時に教授に勧められて、高校の非常勤講師で週に数回教鞭を執るようになりましたが、最初に赴任した学校の校風が自由で、授業も好きにさせてもらえたことがマッチングして、教職を本格的に目指すようになりました。
その後教員採用試験にも合格して公務員として11年間くらい勤めるようになりましたが、40歳を目前として教員生活に限界を覚えてリタイアすることになりました。
その当時に在勤していたのはいわゆる進学校で、先生の得意分野である実験が生徒や保護者の間から不評だったのです。
その理由として、面白さよりも学力の向上を優先させていた学校の気風がありました。
偏差値を高めるための受験を意識した勉強を教えることに違和感を覚えていたのもあり、自分が好きな科学を実験を通して広めていたいという思いから
フリーランスの道を選択したのです。
既に家庭も築いていたので、公務員としての安定さを自ら放棄するという行き方を選ぶのは相当なリスクがあったはずですが、フリーとしての活動に転換することで、初めてお金を自分の力で稼ぐことの意義について気づいたようです。
そして、当たり前のように思える「稼ぐこと」からモチベーションへとつながっていったようです。
先生がブレイクスルーとなったきっかけはTV番組「
情熱大陸」にピックアップされたことでした。
以後世間から注目を集めるようになり仕事のオファーも激増したようです。
そんな「好きこそものの上手なれ」を極めていった先生ですが、自身のしくじり人生を振り返った上でこのような教訓を残していました。
「好きなことをし続けているだけでは社会は通用しない。
自分を必要としてくれる人がいて初めて仕事になる」
これは自身の半生を振り返ってみて心から強調できることでした。
加えて先生はこうおっしゃっていました。
「一見無駄なようなことに思えることでも後になって必ず役に立てるようになる」
3浪の経験も、最初は望んで進んだわけではない大学と教員生活を踏まえての発言です。
この言葉はまさに
社会福祉士試験においても共通しているところがあるように感じました。
こんなことを勉強していても社会では使わないとか、どうしてこんなにも覚える量が多いのだか納得出来ないと重圧に押しつぶされそうになっている方も少なくはないと思われますが、合格の先に待っている新しい世界で初めて気づくことがあると思うのです。
後になって「あの時の経験があったからこそ今の自分がいる」と振り返れる瞬間がきっと訪れるでしょう。
でんじろう先生の背中からはたくさんの学びと気づきを得ることが出来ました。