4月から宅浪生活を初めた私でしたが、4月下旬のGW前にはギブアップすることとなりました。
何でだか理由が気になるところですよね?
想像していた以上にキツイ。
何がって、精神的にキツイの一言に尽きました。
22歳で大学を卒業してから7年間、無職の時代というものを初めて経験することとなりましたが、自由な時間というものがこれほど針のむしろのような生活であるのかと言うのは全くの想定外でした。
自分で選んだ道なのに、早々から贅沢なことを言っているな〜と感じられた方もいらっしゃるでしょう。
その通りです。
会社との両立で四苦八苦しながら合格を目指している方からすれば、たっぷりと勉強に集中できる環境に身を投じられている当時の私を訝しく感じているかもしれません。
ないものねだりと言えばそれまでですが、私にとっては、職場を離れたことでこれほど精神が不安定なものになるものなのかと言う辛さは初めての体験でした。
「働く」という行為が体に染み付いていたのもあるのだと思いますが、勉強中心の生活に切り替わったことで、自分が自分でなくなるような不安感に襲われ、社会に取り残されてしまう疎外感や孤独感がとめどなく交錯しました。
30歳にもなると、同級生たちは所帯を持ち、置かれている職場でも実力を認められて昇進してくる人間が現れてくる中、独身で資格取得のために勉強に投じている浪人生活の実態を漏らすこと等はプライドが許しませんでした。
同級生達との連絡は、それまでとなんら変わりのなかったかのような私を演じ、平然を装いながら合わせていましたが、心の中は疎外感が広がって行く一途でした。
で、肝心の勉強の方はどうかと言うと、お察しでしょうが全く捗っていませんでした。
それも勉強に手をつければつけるほどやる気が失せていって、自分の人生が迷宮入りしていくような悲愴感に支配されていきました。
法律分野を極めるのは自分には苦行でしかなかった。
そう気がつくのに時間は要りませんでした。
けれども、そう心が悲鳴を上げていたとしても、すぐにドロップアウトするという選択は進めませんでした。
会社を辞めてまで手にした自由の道だったので、嫌になったから諦めると判断を下すのは、あまりにも身勝手で意気地なしだと思ったのです。
そんな私が導き出した結論は、5月からはアルバイトと両立しながら受験を目指すという未来でした。
4月中旬になると、私にとっては、勉強よりも社会復帰をすることが何よりも先決になっていました。
このままでは自分が自分でなくなるような焦燥感で自分をコントロール出来なくなって行ったのです。
フルタイムの仕事を求めてしまうと、ますます勉強から逃避するようになってしまうのは目に見えていたので、本末転倒にならないためにも、週3くらいのペースで調和が取れるアルバイトに決めたのです。
すぐに仕事は見つかって、5月から早速開始することになりましたが、ようやく社会に接点を持てることになった私の期待とは裏腹に世間の厳しい眼差しを目の当たりにすることになります。
「何でその年でバイトやっているの?」
面接の時にも聴かれた質問でしたが、職場の上司や同僚となる方々からも異口同音にそう尋ねられました。
29歳にもなってアルバイトとしてエントリーしてきた私の生き方に疑問を持つのは、至極当然な反応だったと思いますが、いざ初っ端から次々とそう切り出されたことで、すっかり心が折れそうになってしまいました。
国家試験に一発合格するためです。
という予め用意した定型文の回答を突き返すわけですが、口に出していることと実際に行っていることがあまりにも乖離している私の心が荒んで行く流れを看過出来ませんでした。
同僚と言っても私より二回り以上年上の女性職員ばかりでしたが、そこに自分が生き生きと仕事が出来る居場所がないと感じたのは第一印象だけではなくて、辞めることになる11月まで絶えず続きました。
仕事を辞めるまでの7年間、先輩や上司ともそれなりになんとか関係を構築してきましたが、アルバイトという立場での仕事は筆舌に尽くしがたいやりづらさや同等でない扱いを同僚達から感じることとなりました。
アルバイトが開始してから3日目にして、高熱にうなされて1週間ほど自宅で安静を余儀なくされることになるほど心身ともに影響があったのです。
今思えば、当時私自身の精神に余裕がないことから被害者的に受け取っていたところもあったのかもしれませんが、あの短期間ほど「思い出したくはない」と蓋を閉じたくなる生活はありませんでした。
前述しましたがほとんどの友人にも事実を話せずに、ずっと自分の心の中でこの問題を抱え込んでいたこの当時の私は、まさに後悔と絶望に支配されていました。
こんなはずじゃなかった。
というどうしようもない無気力感に支配されて、夜な夜な涙する日も一度や二度ではありません。
自分の将来がどんどん取り返しのつかない暗闇に向かっているようで、何が正しくて何が間違っているのかを自問自答する日々でした。
そんな朽ち果てようとしている自分を奮い立たせ、救ってくれたのは、他でもないこの絶対合格ブログでした。
その年の3月、社会福祉士試験に合格して間もなく誕生した絶対合格ブログでしたが、4月の宅浪生活に入ってからは、勉強の憂さを孤独を晴らすかのように毎日の記事作りに没頭していました。
宅浪と言っても自宅にこもっているような日々ではなく、近所の図書館とバイトの往復が中心になっていたので、休憩時間には館内の福祉関連の図書を読み漁ってはブログで中身を紹介していました。
そのうちに、「記事を読みました」という反応もぼちぼち見られるようになって、ブログのモチベーションは勉強とは反比例して日に日に高まって創作意欲が強くなっていました。
精神的に極限状態に置かれていた私にとって、更新すればするほど絶対合格ブログの運営は唯一と言って良いほどの希望であり、やり甲斐を感じられる私の居場所になっていました。
肝心の行政書士試験の方ですが、その年の11月にしっかりと受験をしてきました。
とても勉強に傾注出来たとは言い難かったのですが、最後まで諦めずに挑戦することをモットーに、試験を全うしてきました。
結果はもちろん玉砕でしたが、私の中では既に次なる目標に切り替わっていました。
それは、社会福祉士として第一線に身を投じることでした。
そう思えたのも、傍らで継続していた絶対合格ブログの存在と、そこに訪れるみなさんとの出逢いが後押ししてくれたからです。
縁あって、その年の11月下旬から初めての社会福祉士としての仕事に有りつけてから、今日まで約4年ほどの社会福祉士人生を送ることが出来ました。
人生一寸先はどう転換するのかは本当に分からないものだと振り返ります。
4月の時点での私は、行政書士に挑戦する道を放棄したら、自分にはもう人生を再構築することは不可能なのではないかとさえ追い詰めていたところがありましたが、そんな私を救ってくれたのが社会福祉士の資格と絶対合格ブログだったのです。
とことん苦行の勉強と孤独と向き合い続けたからこそ出逢えたご縁であって、あの7ヶ月の生活がなかったら今日のブログも存在していませんでした。
人生、一番辛い時期をともに過ごした仲間や伴侶が一生の縁という言葉を耳にしますが、私にとっては辛苦を共有出来た絶対合格ブログは心の相棒のような存在です。
どれだけブログの継続がしんどくなったとしても、辞めるという選択を取らずに続けて来られたのは、あの時代があったからこそで、本当に自分が続けたい道を気付かせてもらえたのがこの絶対合格ブログだったという並々ならぬ思いがあるからです。
私の経験が同じような宅浪生活に置かれている方にとってお役に立てるかどうかはわかりませんが、もしも八方塞がりの日々を過ごしていたらこう伝えたいです。
大丈夫。
その経験が必ず実を結ぶ日がやってくるので、可能性を信じ続け、具体的な行動を重ねることが大切であると。
誰よりも孤独や不安を経験しているみなさんが開花しないはずがありません。
私達と一緒に是非来年の桜を目の当たりにしましょう。
3月15日に電話でみなさんの勝利の声を耳にする日を今から楽しみにしています。