この画像は、遡ること13年前の桜が咲く直前のこの時期に、私が大学生活最後の春に受検した漢検準1級試験結果です。
「合格まであと1点」
この無慈悲な現実を目の当たりにした時に、私はあまりにものショックでその場に崩れ落ちました。
自宅のPCの前で、インターネット合否判定でその結果を知ったわけですが、それから2週間後くらいまでの記憶はほとんど残っていません。
よほどショックが大きくて、その反動から記憶からその期間が抹消されてしまったのかもしれません。
2週間前に紹介させていただいた、水谷先生との会話以上に心に刻まれる出来事となっています。
ただ唯一覚えているのは、不合格を受けたその1時間後に、胸部に激しい痛みが生じて、自分では動けないくらいの異変に我慢できず、家族の力を借りて救急外来に運ばれていったことです。
レントゲンを撮った後の診断結果は異常なしでしたが、極度の心的ストレスが要因だと言われ、精神安定剤を処方されました。
私はその薬名と、医師の処置を受けて、ますますふがいなさと絶望感が広がりました。
当時私は、漢検準1級にすべてをかけていました。
それまでの半生を振り返っても、誰かに誇れるような実績は何一つありませんでした。
私は何よりも、「これだけは頑張った」という証を大学生活中に刻みたかったという強い念が芽生えていたのです。
漢検に受かったところで、就職先が保証されるわけでもなければ、女性にモテるようになるわけでもありません。
傍から見れば、単なる自己満足の世界と評されてもおかしくはなかったと思います。
それでも、私にとっては自分の中の可能性を信じて、未知なる挑戦を続けられたことが肝心でした。
ずっと大変なことから逃げて来た自分を鍛え直すことが出来た漢検。
なんとしても結果を残したかった一心でした。
私は四年生の大学卒業後に他大学進学を視野にいれており、当時漢検受検と並行して他大学の編入試験の勉強にも着手していましたが、最終的には漢検の方に全精力を傾注するくらい漢検受検にかけていました。
しかし、現実は非情です。
力足りずに、あと1点足らずで不合格に散ったのです。
後に残るのは後悔の二文字。
もしもあと1問正解していれば。
もしもあの時、消しゴムであの答えを消していなければ。
どうすることもできませんが、やるせなくて仕方がありませんでした。
次第に、自分を見失って行き、不合格の烙印を前にして、
やっぱり偏差値40の勉強嫌いで苦手の自分にはレベルが高すぎたのかもしれない。
という、虚脱感、自己卑下の念に何度も苛まれました。
何度も何度も自問自答を続けた私ですが、やはり時間薬という言葉があるように、次第に気持ちが落ち着いて新しい気持ちが芽生えてきました。
まだ挑戦は終わりを迎えていない。
生きている限り、また次に挑戦できる。
不合格から1週間が経ち、私は再起動を誓いました。
堕ちるところまで堕ちたら、後は這い上がるだけで、ここまでやってきたのだから、合格するまでは諦められないと切り替えられるようになったのかもしれません。
200点中の159点、限りなく合格に近いラインにまで到達していることを認められたのです。
0からのスタートよりもアドバンテージがあるわけです。
後は+αの知識を付け加えるだけ。
「ここで諦めたらもったいない」という世間の声のように、私の中ではここで諦めるという選択肢はあり得ませんでした。
葛藤の末、それまで沈んでいた自分が嘘かのように、「こうなったら、圧倒的勉強量で9割合格してやろう!!」という半端ない気合がみなぎってきました。
すぐさま過去4年分の問題集を追加購入して、次こそは絶対合格をスローガンに本番を迎えました。
そして、その次の試験で、念願のリベンジ合格を果たせました。
精神・社会福祉士試験合格発表日から少し時間が経ちましたが、不合格のショックから立ち直れない、気持ちを切り替えられないという方は少なくはないと察します。
コメント欄や電話報告で「あと1点、2点」という合格目前で悔し涙をのまれた方を想像すると、決して他人事ではありません。
一人一人に家族があり、職場があり、将来の希望があっての背景が浮かんできただけに、無念の一言です。
たった数日くらいでは気持ちを切り替えられなくてもなんらおかしくはありません。
私が今回このエピソードを紹介したように、私自身も不合格のショックというものを幾度となく経験しているので、痛いほどその気持ちが伝わってきます。
「自分だけ取り残されてしまった」という孤独感や疎外感にうちひしがれている方もいるかもしれません。
みなさんとは置かれている環境も試験を目指された目的も将来のビジョンも当時の私とは異なっていることは百も承知です。
ですが、挑戦をされたみなさんに伝えさせていただかずにはいられませんでした。
私は漢検だけではなくて、他試験も含めてたくさんの試験を一発では結果を出せない経験を重ねてきました。
あの思い出したくもないような経験があったからこそ、新しい試験に挑戦する度に、能う限りの力を入れて臨んでいます。
そして、もしも不合格をあれだけ経験していなかったら、このブログは今日まで続けてこられませんでした。
おかげでこの文章を発信することが出来て、みなさんに今ご覧いただけているというご縁を感じています。
「漢検受検と一緒にされたくない!!」と怒りが湧いてきたとしたら、それだけのエネルギーを受験に傾注されてきたという証でもあります。
だとしたら、ここでドロップアウトしたくないという潜在意識の表れとも言いかえられるかもしれません。
みなさんの蒔いた種は、たとえその瞬間が今ではないとしても、冬を越えて開花する時が必ずやってくると信じて止みません。