自分は不合格で、周りの知り合い達はトンネルを抜けた先に旅立ってしまった。
自分だけが取り残されてしまうことの孤独感や焦燥感は言葉では表せないくらい大きなものですよね。
想像の世界でそう言っているわけではなくて、数々の資格試験に挑戦し、不合格という不本意の結果を複数体験している経験からそう言えます。
今回のエピソードはそれ以前にさかのぼり、偏差値50台前半の地方高校から、東京の中堅大学に楽々と推薦入学した私でしたが、期待とは裏腹に、入学早々己の無力さを味わうことになりました。
何も知らなずに「大学デビュー」で胸を膨らませていたある18歳の青年がキャンパスライフを開始した時点から物語は開幕します。
◆ 大学の講義についていけない!
入学直後の私が初めの講義で体感したのは「授業についていけない」ことでした。
1分1秒が針の筵のように苦痛で重く感じたのです。
教授の話す内容に耳を傾けることでいっぱいで、理解などは二の次でした。
まるで母国語ではなくて外国語を常に聴いているような気分に陥る講義もありました。
ある必修科目では、教授が講義の理解度を試すかのようにランダムで学生を当ててくるのですが、どうか自分にだけは回ってこないよう祈る様に念じていました。
毎回がこんな調子ですから、講義内容をしっかりと把握できているはずもありません。
一体全体、どうしてこのような展開が待っていたのか。
高校・大学と、受験勉強を回避してきた私にとって、つけが回ってきたのです。
大学の講義に対応できるだけの基礎学力・体力がままならない私にとって、90分講義の忍耐力や理解力が圧倒的に不足しており、ガス欠状態で身が持ちませんでした。
◆ 自分だけ・・・・・・から、無気力に陥ってしまう
これだけの学生数だから、私のような人間が他にもいるはずだと周りを見渡していたのですが、みな涼しい顔で適応していました。
運悪く教授に指名された時も、私が答えられなかった質問に対して、周りの同級生達はしっかりと自分の考えを述べていました。
何で自分だけこんなに劣っているんだ。
推薦入試組と一般入試組はここまで根本的なレベルの差があるのか。
追いつめられた私は抱えきれずに、プライドを捨てて友人の一人に、弱音を吐いたことがありました。
「大学の講義難しすぎでついていけないよ」
すると友人は怪訝そうな顔をして、
「え?そんな風に感じてたの?難しく考えすぎだよ。そのうち慣れるよ」
と、涼しい言葉をかけてくれました。
同じ空間を共有しているのに、違う世界を生きているような違和感が確信に変わった瞬間でした。
当時の自分には、余計距離が広まってしまったような焦燥感や劣等感が募っただけでした。
勉強についていけない焦りや、やるせなさは、周りの人間には理解してもらえる問題ではないのです。
私のアイデンティティを唯一支えていたのは、高校時代で常に上位に位置していた過去の栄光です。
井の中の蛙だったことをこの世界で痛感するわけですが、プライドが廃っていなかった分、これ以上自分の弱さを他人に打ち明けることはできませんでした。
周りは一般入試組が大半の中、推薦組で入った自分は、基礎学力がままならなかったため、置いてきぼりにされたような挫折感に変わっていきました。
私に不足していたのは「基礎学力」でした。
大学入学までに体得していた読解力や一般教養力が圧倒的に欠如していたのです。
いや、もとをたどれば小学時代から放棄してきた学習経験の少なさがここに来て露呈したわけです。
高校時代に好成績を修められたのは、中間・期末テストの集大成です。
テスト直前の一ヶ月前くらいから短期集中で頭に詰め込む方法で結果を出してきたので、短距離マラソンのように瞬発的に力を発揮して結果が伴うという形でした。
大学一般入試は長期マラソンのようで、高校1年〜3年生までの広範にわたって蓄積されるはずの知識と学習経験が圧倒的に不足していたのです。
けれども、そんな誰にも理解されない醜態を周囲に晒すわけにはいけません。
中学時代のように、自分の弱みは見せたくない、自分はもっと出来るはずだという虚栄心が私を覆いました。
そうやって、「わかったつもり」を偽り塗り重ねていく自分は、表向きでは平然を装いながら、学びへの意義を見出すことがなく、自分の殻に閉じこもっていくようになったのです。
続く