「人は自分の気分次第で壊せるものをそれぞれ持ってる
おもちゃだったり
ペットだったり
恋人だったり
家庭だったり
国だったりする
お前はそれが人よりデカい それだけだ」
このセリフは漫画『幽遊白書』に登場する玄海というキャラクターが弟子の浦飯幽助に放ったフレーズです。
もはや実力では師匠の玄海を上回った幽助に対して、人生の先輩として、一人の師として戒めの言葉として説いています。
今回冒頭でこの言葉を紹介させていただいた理由としては、まさに福祉・心理・教育業界においても、該当すると思ったからです。
「人は自分の気分次第で壊せるものを持っている」
対人援助職に就いている方ならば、その言葉の重みや意味が想像できるかもしれません。
他人の人生、そして心の中に踏み込める立場にいる我々は、どのような言葉がけをかけるか、支援策を打つかによって、不幸に追い込むことも、幸せへの架け橋を紡ぐことも、いかようにもタクトを振れる位置にいます。
非常にやりがいがある仕事でもありますが、その反面、他者の人生を左右させるような影響力を与える仕事でもあるので、恐怖やプレッシャーを覚えることも少なくはないでしょう。
数日前の別の記事でも扱いましたが、私がこの業界にいて怖いと感じる瞬間は、役職や実務経験が多い人間の発言や行動が模範(是)とされて、支援の基準となってしまうような現象がしばしば起き得ることです。
何が正しいのかどうか、長年の経験や勘から判断できる面があることは否めませんが、一人の人間の見立てが絶対とは言えません。
他人の心や人生はカテゴライズ化できるほど単純ではないことは、みなさん自身も痛感しているでしょう。
そうやって、一部の人間達の判断や勢いで支援が進められていくことで、一見上手く行くようでも、長い目で見ると、歪が生じてしまうなんてことも珍しくはありません。
与えすぎ、特別扱いしすぎな支援によって依存関係を生み、自立を阻んでしまう将来的なリスクを孕んでいるのです。
職員は異動だったり、退職だったりして遅かれ早かれいなくなりますが、要支援者の人生はその先も続くのです。
個の力でどうにかしているようでも、他の職員が同じような支援をできるかどうかと言ったら別物です。
個人事業主ならば自己責任かもしれませんが、組織で働いている以上は、誰かが目立ちすぎたり、個別の関係性や力だけで支援が進んでしまっては行けないと私は思います。
巡り巡って、組織に残る別の人間にしわ寄せが生じたり、個の力が離れた後に、要支援者に深刻な悪影響が及ぶリスクがあるからです。
「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉のように、声が大きい人が目立ってしまうことで、陰に埋もれてしまうような人間も生じてしまいがちです。
言ったもの勝ち、やったもの勝ちでは非常に危険な世界であります。
他人の人生に踏み込む以上は、そのリスクや影響力を複合的な視点から冷静に判断することが欠かせないからです。
内集団バイアスという心理学用語がありますが、自分の所属している集団が優れていて、権力を有していると錯覚するようになるほど怖いものはありません。
自分の正義や支援に賛同できない人間は、同僚でも要支援者でも切り捨てられてしまうなんていう現象は起きてはなりません。
では、何が正しいかどうかの判断基準を培うためには、経験以外で何が挙げられると思われるでしょうか。
それは、勉強であると私は思っています。
社会福祉士や精神保健福祉士等の国家資格受験もそうですし、各研修に参加して勉強を重ねること、そしてそこで出会う同士達と意見交換を行ったり、スーパービジョンや教育分析を通して、客観視するように努めてみることです。
自分たちの置かれている環境が世の中の全てではないということを体感することが何より重要だと思います。
職業倫理や理論を学ぶことで、そもそも支援の原点を知れることもあります。
私が今でも資格取得を目指す理由の一つも、まさに視野を狭めないようにアップデートしているような感覚でもあります。
仕事をしていて違和感を覚える正体を言語化し、適切な対策を練れるようにすること、自分の常識と業界の常識、社会の常識がそれぞれズレていないのかを点検し、支援が独りよがりになって、暴走していないかを再認識させるために学びを続けています。
前述した玄海の名言ですが、続きがありまして、最後は次の2行で締めくくっています。
壊したくなったらその前にここに来な
まずあたしの命をくれてやる
時には自分を諌めてくれたり、間違いを指摘してくれる存在が周りにいるかどうか。
異なった意見を言い合える職場環境や関係性を築けているのかどうか。
支援は独りの力だけでは成り立ちません。
自ら、そして組織の支援の方向性は正しいのか、社会の常識と乖離していないのかを意識しながら、みなさんなりの正義を考えていってくださいね。