数日前からインターネット上で大きな波紋を呼んでいる4月24日発売予定の書籍『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』。
本の表紙には「困った人」の例としてASD、ADHD、愛着障害、トラウマ障害、世代ギャップ、疾患(自律神経失調症、うつ、更年期障害、適応障害、不安障害・パニック障害)があげられており、帯には「なぜ、いつも私があの人の尻拭いをさせられるのか?」とキャッチコピーが書かれています。
また、表紙や目次ではこれらの人々がサルやナマケモノなど擬人化した動物のイラストで描かれているため、「精神疾患のある人を動物扱いしている」、「差別を助長するヘイト本」との声があがっており、批判が止まらずに出版の差し止めや回収を求めるような状況になっています。
イラストレーターや著者である神田さん、出版社(三笠書房)それぞれが反響を受けて声明しています。
4月18日付けで、出版社である三笠書房と著者である神田裕子さんそれぞれが意見と釈明を公開されました。
共通しているのは、「差別的な意図は全くない」と強調されており、出版差止めについての表明はありませんでした。
寄せられている批判に関しては、本書を読めば誤解が晴れるというようなメッセージが伝わりました。
ですが、一昨日から既にAmazon等の大手ネット販売で予約を受け付けない状況となっておりますので、社会的判断として止められているような形です。
これだけの影響を受けて、精神科医や医師もそれぞれの見解を動画上で解説されています。
精神科医益田先生
精神科医さわ先生
高須クリニック高須先生
SNS上だけの反響に留まらず、「発達障害当事者協会」は内容について質問状を送付したことを公表。
「日本自閉症協会」は4月18日付けで、同書について公式サイトで声明を発表されました。
現在、この本は表紙と帯、および目次をネット上で見ることができますが、それでも差別や偏見を助長すると判断する理由は以下の通りです。
- ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)の発達障害を一方的に「困った人」として扱っていることは誤解を生みます。
- 障害名を人のタイプに結び付けているために障害に対する誤解を生むとともに、表現されている特徴を有する人を障害者とする偏見をも生みます。
- ASDの特徴として「異臭を放ってもおかまいなし」やADHDを「同僚の手柄を平気で横取り」など特異な事例をことさら強調しているため偏見につながります。
- 結果としてASDやADHDの特性を有する人の尊厳を傷つけます。
大事なことは作者の差別意識の有無ではなく、本が当事者や職場、社会にどう影響するかです。
作者や出版社はそのことをよく考えていただきたい。
精神疾患などデリケートなテーマを扱う際に出版社は監修をいれたり、対象の人たちの受け止めを確かめるなど慎重な姿勢が求められます。
かかる書籍が、自閉スペクトラム症を含む障害のある人たちの人権を侵害するおそれがあることを懸念し、出版社が適切な対応をされることを期待します。
私は18日からSNS上での世論の流れを観察していましたが、今回注目したのが、「誰が発信しているのか」「著者の人間性について」の世の中の受け止め方です。
本著の著者である神田裕子さんは、産業カウンセラー資格を取得しており、2021年春、立教大学大学院修士号取得。
4月23日追記 産業カウンセラー登録者ではないようで、本書表紙の肩書が修正され、ご自身のサイトの所属からも除かれています。
同年4月、発達障害とグレーゾーン、そのパートナーや家族、同僚等のカサンドラ症候群を支援する団体『カサンドラ・ラボ』を立ち上げており、7月より団体にて語りの場『カサラボカフェ』と勉強会『スライバーズクラブ』をオンライン運営し、講演会や研修会を実施。カウンセリング歴35年で、相談実績は4万人ものキャリアを持つ方です。
発達障がい支援に関して長年キャリアを積まれた専門家が、なぜ今回のような批判を受けるようになったのか、御本人は表現の仕方について誤解を与えたことは認めつつ、正当性については訂正されていないように受取りました。
基本的な視点や考え方については一貫している様子がうかがえます。
今回の出来事から私が感じたのは、決して他人事ではないということです。
私が危惧しているのは、長年その道に携わってきて、実績や肩書、社会的評価を上げている人間ほど、「倫理観」や「客観的な視点」を見失ってはならないということです。
専門家である自負や過去の栄光をもとに振りかざし続けると、第三者の言葉を受け流したり、認めなくなり、気が付かないうちに周りの人間を傷つけてしまいます。
あるいは、気づいているものの、見て見ぬふりをしていることもあります。
そういう場合は、自分の正当性が全てで、権限があることでたかをくくっているような人もいるかもしれません。
専門家としての過去の実績も大事ですが、そこに拘泥し続けないこと。
人間として基本的な思いやり、そして自己流に限らず、学びを続け、他者の声を受け入れることでアップデートしていかないと、いつか大きなズレが生じて修正ができなくなってしまうような危険も肌で感じています。
己の常識が世界や情勢によって、いかようにも変わるからです。
ネット上での批判として、◯◯カウンセラーという肩書は誰でもいつでも自由に名乗れる(神田さんは自身をスーパーカウンセラーと呼んでいます)。
心理系資格として信頼性を置けるのは、国家資格である公認心理師と臨床心理士であって、これらの資格を取得しているかどうかで印象も違うという声が複数ありました。
私は以前産業カウンセラーを取得しようとした時期もあり、資格の価値を感じるところもあるので、全く否定する気持ちはありませんが、世間の印象や意見として、そのような見方もされるという視点もあることを改めて知りました。
資格が全てではありませんが、取得までに培う学習量や学校の人間関係から得る体験、倫理綱領等を体系的に培うことで、専門家としての礎が醸成され、社会的評価も受けられる可能性を感じました。
「日本自閉症協会」の声明にあったように、精神疾患などデリケートなテーマを使う際には、精神科医を監修者にいれるなどして、様々な視点から誤解を生まないように慎重にまとめあげなければならないということです。
支援者が視野狭窄となることで相手にとって「困った人」となり得るこの世界。
以前、一緒に働いた同僚で、相談者を「困った人」とラベリングして、抱えている問題を「本人の思考の偏りに主因があるからだ」と見切っている方もいました。
そのような事例も思い出し、自分がどうあるべきか考えさせられる出来事でした。