平成時代と比較すると、コンプライアンスやハラスメント意識については日に日に向上し、労働者にとって働きやすい社会になりつつありますが、他方ではまだまだ「守られていない」と感じられる場面が多いように感じています。
私の身近でも、「駒のように扱われてきた」と、泣きながら退職してきた労働者を何度も目にしたことがあります。
福祉業界だけではなくて、どこの企業も財政的に余裕がなく、人件費は必要最低限に絞っているところが大半な中、非正規雇用の継続可否については、本人の意思以上に経営者の判断によって決められてしまう側面があります。
「非正規雇用の段階で、最初から承知のことだろう」という指摘をしたくなる方もいるかもしれませんが、当事者からすると、働いてきた思い入れや歴史が蓄積しているため、簡単に割り切れないところがあります。
ステップアップ等、納得のいく形で退職された人間がいる一方で、不本意ながら辞めざるをえなかったという人間も少なくはないのではないでしょうか。
どれだけ会社に貢献してきたつもりでも、経営者の匙加減次第で切り離されてしまう無念さや歯痒さは当事者でないとわからないものです。
諦めて次に進むほかないのですが、そう簡単に切り替えられずに、成仏できない魂のように、思い入れが強かった職場時代の過去と現在を往復するような日々を過ごす人間もいます。
やり残したことや続けたかった未練が強いほど、執着のような思いが胸にくすぶっているような感じでしょう。
このような場合、過去の執着を解放する行動の方に目を向けた方が前に進みやすくなるかもしれません。
どうしたらそうできるのかというのは、容易いものではないでしょうが、私は「認める」ことが効果的なように感じています。
もっと続けてああしたかった。
ぞんざいに扱われてしまった。
あいつは許せない!
自分の意思とはお構えなしに離別させられたことで、抑圧された感情に蓋を閉じてしまっているような状況だと思われます。
蓋を開けてあげて、外界に解放してあげること。
そして、自分はあの時最善を尽くして、もうこれ以上仕方がなかったと、過去の振る舞いを認めてあげることが大事です。
その間に、自分の無能さを認めるのが怖いし傷つきたくないという感情と直面するかもしれません。
ですが、職場を離れることになった背景には、個人の能力や人間性が主因ではない場合がありますし、本当のところは経営者側に立たないとわかりません。
直接的に雇用を打ち切られる事情を告げられたとは思いますが、そこに能力が劣っているようなパーソナリティ的な問題があって、そこが原因だったと突きつけられることは少ないですよね(試用期間ではなくて、一年以上働き続けてきた方です)。
つまり、「こういう理由で切られた」という想像の世界で創り上げた苦しみに縛られ続けているのであって、その思いが事実かどうかはわかりません。
わかっているのは、あの時、あの瞬間、自分の中でできることを尽くしてきたということです。
いつだって離れることになった側だけが時間が止まったかのように、抱え込み続けるようになった無念さに駆られているかもしれません。
それだけ思いが残っているいるくらい、本当によく頑張ってこられた証ですよね。
だから大丈夫です。
時間がどれだけかかっても、また前に進みたくなって、新しいこ゚縁につながります。
私が見てきた雇用打ち切りで哀しい思いを経験された方々も、そこで終わらずに、その後正社員でより待遇が良い会社に転職されたり、精神保健福祉士資格を取得されて、ステップアップされました。
本当に自分の努力や思いだけではどうにもならずに、理不尽なことや突然の変化に対応しなければ生きていけない時代になってしまいました。
それでも、毎日の仕事を着実にこなされてきた方は誰かが見てくれていますし、新しい世界に進む上でもそこで得た経験を必要としてくれる人間が待っているものです。
だから、大丈夫です。
これから築けます。
