「人を雑に扱う」ことの代償:一度失われた信頼は、二度と元の形には戻らない
私たちは対人援助職のプロとして、クライエントに対しては細心の注意を払い、受容的、共感的な態度を貫こうと努めます。
しかし、その刃が時に身内である「同僚」や「部下」に向いたとき、途端にその専門職としてのアイデンティティが揺らぎ始めることがあります。
私自身も、正社員、非正規雇用、民間、行政の対人援助職を経験して、雑に扱われたこと、見下されたことは幾度となくありましたし、今でも覚えています。
特にマネジメントの立場にある人間が、相手の属性や立場によって態度を変え、誰かを雑に扱うことは、組織の土壌に毒をまく行為に等しいと言えるでしょう。
1. 不信感は「静かに」蓄積され、やがて修復不能な亀裂となる
「雑に扱われた」側が抱く違和感や痛みは、決してその場限りのものではありません。
表面上は波風を立てず、プロとして淡々と振る舞っていても、心の奥底では不信感が澱のように積み重なっていきます。
私自身がHSP気質を持つのも加わって、その機微に敏感であるように、相手の「軽視」や「見下し」は、言葉以上の温度を持って伝わります。
そして、一度「この人は自分を大切に扱わない人間だ」というラベルが心に貼られてしまうと、どれほど後から友好的に振る舞われようとも、その不信感を完全に拭い去ることは不可能です。
私自身も、そのような相手には関係性を崩さないために、極力表には出さないように努めましたが、心の奥は亀裂が走って心を閉ざしていました。
2. 立場の逆転と「一期一会」の重み
今の立場や関係性は、あくまで一時的な「役割」に過ぎません。
部署異動、昇進、あるいは転職。
対人援助の世界は狭く、かつて見下していた相手が、数年後には重要な連携相手や、あるいは上司になっていることさえ珍しくありません。
その時になって慌てて「手のひら返し」をしたところで、損なわれた尊厳は取り戻せません。
私自身も不信感が募っていた人間と、数年後立場が変わってやり取りをした際に、手のひら返しのように友好的な態度を取られたことがありました。
表面上は何事もなかったのように、業務上の対応をしましたが、自分にされた過去の扱いをないことにできないところもあり、へつらうような態度は取りませんでした。
相手が見ているのは、今のあなた様の肩書きではなく、「自分が最も弱かったとき、どう接したか」という一点なのです。
結びに:対人援助職こそ「自分を律する」強さを
人を雑に扱わない。
これは道徳的な教えである以上に、プロとしての「サバイバル戦略」でもあります。
誰に対しても、その人の背景にある尊厳を尊重し、フラットに接すること。
それは、回り回って自分自身の居場所を守ることに繋がります。
たとえ相手がどのような立場であっても、あるいはどのような前評判があろうとも、自分だけは「礼節」を捨てない。
その一貫した態度こそが、長い年月を経て「本物の信頼」という資産に変わっていきます。
そうは言っても、こうして言葉にまとめるのは簡単ですが、いざ実施しようとすると難しいものです。
相性や立場上の問題もあって、「ムカつく」「嫌い」「口を聞きたくない」という感情に支配されることもあるからです。
そういう時ほど余裕がなくなっているので、衝動性に駆られて露骨な態度に出してしまうと、相手の心には消せない不信感が刻まれてしまう可能性があるのがこの仕事の落とし穴でもあります。
役職が付き、経営者のような立場になることで、まるで自分の考えや方針が絶対のように、周りにも押し付けてきて、それを是とするような世界も垣間見てきました。
喜怒哀楽をコントロールすることは、様々な人間と関わる対人援助職として時に容易いことではないかもしれませんが、「他者を尊重する」という基本姿勢が何より重要であると私は自戒として意識しています。
プロとして、そして一人の人間として、私たちは常に試されています。
「目の前の人を、一人の人間として大切にできているか」
その自問自答を忘れないことこそが、私たちが支援の現場で、誇りを持って立ち続けるための唯一の道なのではないでしょうか。