問題集や本試験の冊子を開き、出題文と5つの選択肢を目にしたとき、誰もが一度は次のような感覚に陥ったことがあるはずです。
「え、どれが間違っているの? 全部正しく見えるんだけど……」
練りに練られた選択肢が美しいフォントで印字されていると、すべてが正論のように思えてくる。
特に
「~の傾向があった」「~と規定されている」
などと毅然と断言されると、「本当にそうなのかな」と自分の記憶が揺らぎ始めます。
そこに追い打ちをかけるように、見たこともない新出のキーワードが並んでいたり、新カリキュラム特有の長文や「2つ選べ」の罠が仕掛けられていたりすると、脳は一瞬でフリーズし、まるで出口のない迷宮に放り込まれたような焦りに襲われます。
しかし、ここで冷静に立ち返ってください。
5つのうち4つ(「2つ選べ」なら3つ)は、間違いなく「誤り」なのです。
どれほどもっともらしく見えても、そこには必ず不正解が巧妙に紛れ込んでいます。
激変する国家試験の波を乗り越え、本番で惑わされないための「視点の切り替え方」と「本当のコツ」をまとめました。
1. 最後の2択で決めかねるとき、自分を救う「直観」の正体
もちろん、直接的な対処法は「正確な知識」を蓄えることです。
知識という確かな羅針盤があれば、選択肢を2択、あるいは3択へと確実に絞り込むことができます。
しかし、合格基準点(約6割)を意識して作られている本試験では、正答率を下げるための「紛らわしい問題」が必ず複数用意されています。
本番のプレッシャーや時間のなさが加われば、最後の2択でどうしても決めきれない葛藤の瞬間は訪れます。
そんな極限の局面で、いざという時にあなたを助けてくれるのが「直観(ちょっかん)」です。
ここで言う「直観」とは、根拠のない思いつきである「直感」とは異なります。
過去から未来、そして自分がこれまで積み重ねてきた学びのすべてを、脳がバックグラウンドで一瞬にして俯瞰し、導き出す判断のことです。
初めて会った人に対して、第一印象で「なんとなく信頼できそうな人だな」と感じ、後々それが正しかったと気づくケースは少なくありません。
それと同じで、問題文をパッと見たときに覚える、
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「なんか、これが合っている気がする」
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「この選択肢、どこか言い回しに違和感があるな」 という「なんとなく」の感覚は、決して勘勘(勘に頼ること)ではなく、あなたがこれまで机に向かって蓄積してきた学習経験から生じている、脳の超高速な仕分けサインなのです。
迷宮に入り込んだときこそ、最後の最後は、自分の脳が鳴らしたそのアラートや、最初に「これだ」と信じた道を選ぶほうが、結果的に間違いが少ないというのは、試験における隠れた真理です。
2. 国家試験は、混沌とした社会を生き抜く「審美眼」のトレーニング
一歩引いて広義の視点から見れば、国家試験が私たちに求めているのは、単なる暗記量ではなく「物事の本質を見抜く力」なのかもしれません。
私たちの生きる現実社会は、自分たちにとって都合の良いように事実を歪曲したり、もっともらしい美辞麗句で飾られた言葉で人をコントロールしようとしたりする思惑で溢れています。
対人援助の現場でも、多種多様な情報や意見が飛び交い、何が真実で何が本質なのかを見失いそうになる瞬間があります。
試験勉強を通じて、「巧妙に仕組まれた誤り(罠)」を見つけ出し、「真実(正解)」を一つひとつ選び取るトレーニングを繰り返すこと。
それは、実社会において「おかしな人間や甘い言葉に振り回されないための眼」を養い、時代や環境の変化へ柔軟に対応できる自分だけの軸を作るプロセスそのものと言い換えられるかもしれません。
結び:千里の道も、今日の一歩から
今はまだ、問題集を開いても正誤の判別がつかず、解説を読んではため息をつく日々でも全く問題ありません。
地道に学習を重ねていけば、ある日を境に、選択肢の裏にある出題者の意図や、仕掛けられた嘘が透けて見えるように、自然と目線が切り替わってきます。
「千里の道も一歩から」
この地道で泥臭い学びのプロセスを歩みきった方は、試験に合格するだけでなく、その先にある実務の世界へ出たときにも、決して他人の言葉に揺るがされない「自分らしい強さ」を持った専門職として、大いに活躍できるはずです。