「大学生活で何かこれだけは頑張れたという体験はありますか」
大学2年次に、リクルートに就職したOBが、学内の就職フォーラムにて投げかけてきた言葉です。
「大学生活には2通りの生き方があります。
一つ目は何かを残せた人、二つ目は何も残さないまま卒業した人です。
実は大半の学生は形を残せないまま、何となく4年間を過ごして就職するのです。
でも、いざ就職した時に、“何かこれだけは頑張った”という体験がある新入社員は強いんです。
逆境に陥っても、腐らずに、自分を信じて乗り越えられる。
みなさんには残りの大学2年間でぜひその“何か”を見つけてから社会に羽ばたいて欲しいのです」
自分が大学生活で残した物は何だったのか。
結局その後、自信をもって、「これだ!」と誇れる体験は見つけられませんでした。
そんな自問自答が堂々巡りしていた時でした。
突然、友達が大声で「危ない!」と叫んだと同時に、急ブレーキを踏んでいました。
何が起きたのだかわからないまま、車はものすごい轟音とともに止まりました。
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気持ち悪いくらいの静寂が私達を覆いました。
ライトに照らされている外の世界を目視して、自分達が置かれている状況を理解しました。
なんと車の数十センチ先は、ガードレールがない断崖絶壁だったのです。
実際に外に出てみて、車の前方を確認して、ぞっとしました。
友達はギリギリのところで、暗闇の先が行き止まりであることに気がついて、ブレーキを踏んだのです。
もしも、あと数秒ブレーキを踏むのが遅れていたら、即死だったに違いありません。
「一寸先は闇」とはよく言いますが、一歩間違えていたら本当に死んでいたかもしれないのです。
言霊の怖さを痛感しました。
私は「大学生活はつまらない、虚しい」といつも連呼していて、心のどこかで「このまま消えてなくなりたい」とさえ人生を諦観していた気持ちがありました。
この体験から、本当に死の世界に進んでしまう一歩手前まで辿り着いていた自分に気づきました。
よほどこの日の出来事が衝撃的だったのだと思います。
私の中で初めて、
このままではいけない。このまま人生終わりたくない。
という、胸に秘めていた「自分らしく生きたい欲望」が顕在化したのです。
友達と別れた後に、改めて大学生活を回顧しました。
唯一と言っても良いほど、大学で少しだけでも頑張って結果を出せたと思えた証は、漢検2級だけでした。
漢検2級取得者はそこまで珍しいものではなく、同級生、有名人含めてそれなりに合格者はいました。
しかしながら、準1級取得者と言うと、自分が知る限り身近では1人しかいませんでした(高校時代の特進クラスの国語の主任教員)。
「絶対に無理だ」という殻を破って、結果を出せた暁には、生まれ変わった自分がいるのではないか。
今まで嫌なことや、難しい現実からは逃げてきたけれども、今回は初志貫徹したい。
大学生活でこれだけは頑張ったという証が欲しい。
準1級にチャレンジしたい!
その日の夜に、一念発起したのです。
逸る気持ちを抑えきれずに翌日、書店に足を運びました。
そして、数ヶ月前に物見遊山の気持ちで手にとってみたところ、あまりもの難解さから蓋を閉じてしまい、遠ざかっていた準1級のテキストを躊躇なく選び、購入しました。
この日から漢検準1級受検勉強が本格的に開始するわけですが、どれだけ理解できなかったり、暗記が進まなくとも、勉強が嫌になって投げ出してそのままドロップアウトしてしまうことはありませんでした。
かつての私はめんどくさいこと、大変なことから逃げていたのに、今回はよほど執着心が芽生えていたのだと思います。
合格を果たしたのは、約8か月後になりますが、「努力した証を残したい」という一心が根底にあったため、念願の準1級合格を成し遂げることができました。
私が合格した回は、合格率10%でしたが、3~11%と変動が激しいこの試験に合格できた実績から、私の中でかけがえのない財産になりました。
過去に勉強ができなかった時代があっても、確固たる意志で継続すれば結果はついてくるのだと、身に染みて感じました。
一般的に役に立たない代名詞とも揶揄されている漢検ですが、漢検準1級合格後になって生活が変わりました。
一番大きかったのは、自分の中で、これだけは頑張ったと胸を張って言える実績が一つできたことです。
他にも、マイナビ社からコラム執筆のオファーをいただけたり、小中高生対象にした教育活動の中で漢字の魅力を広げていくことができました。
そして、この春からは、漢検準1級取得者が対象の漢字教育サポーター養成講座の2期生として、新しい学習を開始します。
資格を取得したことで、「新しいつながり」ができていくことが醍醐味なのです。