何のために受験をして、なぜ合格を目指すのか。
勉強が思い通りにいかなくなって、自分のやり方に不安が増幅されていくと、そもそも受験動機の意義に疑念が発生してきます。
アンパンマンの主題歌『アンパンマンのマーチ』のイントロ部分をご存知でしょうか。
「何のために生まれて、何をして生きるのか、わからないまま終わる、そんなのは嫌だ」
自分が置かれている立場と重なり合う方もいるでしょう。
受験を志した以上、その動機を明確にさせておくことは、長丁場の受験生活において欠かせません。
資格取得を志す理由の強弱によって、勉強のやる気や成果が異なってきます。
「何がなんでも受かりたい」という確固たる思いがある人ほど、初志貫徹できて合格に近づけるのは、世の常です。
私は、初めて独学で受け続けた国家試験の宅建受験において、何のために受験をして、合格した後に具体的にどう生かすのかが不明確で、親に勧められたからというからという「やらされてる感」によって受けましたが、結果はもちろん不合格でした。
紆余曲折あって、多年受験の末に合格できた年は、「このまま中途半端で終わりたくない。せっかく手をつけたのだから受かりたい。自分を変えたい」という"合格への執念"が生まれて、原点に気づけたことが結果につながっています。
誰かのせいにしているうちには、合格も遠ざかっていく一途なのですよね。
社会福祉士は18科目ものボリュームが待ち構えているため、自分の思い通りに進まない日々が連続するものです。
難解な語句や、抽象的で記憶に定着しにくいキーワードが多々書かれていると、まるで活字アレルギーのように、テキストを開くことが嫌になって、そのままドロップアウトして勉強から離れていってしまう人もたくさんいます。
勉強の進捗状態が芳しくない日々が続くと、「もう辞めちゃいなよ。そこまで頑張らなくてもいいじゃん」と、悪魔のような囁きが思考を左右する場面もあるでしょう。
昔から「楽あれば苦あり」と言われているように、大切な目標を先延ばしにして得した人の話は聴いたことがありません。
続く