1年次初めての夏休みは、実家に帰省して、引きこもった生活を送っていました。
夕方に起床して、夜はPS2のゲームに耽るという堕落していた日々を1か月以上続けていたのです。
完全に昼夜逆転の生活を送っていました。
「こんなはずじゃなかった」
大学入学前に思い描いていた学園ライフとはかけ離れていた現実に疲れ果てていた私は、長期休業を活かして逃避の生活を送っていました。
サークルの学友達と旅行やバーベキューを楽しんだり、アルバイトや恋愛を謳歌するような理想的な世界は一切ありませんでした。
そんな朽ち果てた日々を過ごしていた中で、私の中でずっと心残りがあった一つの思いを見て見ぬふり出来ずにいました。
「大学生活をやり直したい」
大学入学後に無知によって直面した私。
このままではいけない、このまま進んでいったら未来はないという焦燥感から、もう一度大学をリセットする必要があると追い詰められていました。
周囲の人間と同等に並ぶためには、彼らが通ってきた大学入試という壁を乗り越えなければならないという結論に至りました。
けれども今度は推薦入試ではなくて、一般入試で大学入試を再挑戦しなければなりません。
大学入試レベルの学力が欠けていた私からすれば、ゼロからのスタートどころか、マイナスからのリスタートでした。
高校時代の平均偏差値は平均40台という低水準だったからです。
衝動的な思いをブレーキ出来ずに、自宅の物置に封印していた大学入試対策の問題集を数冊めくってみましたが、すぐに気持ちが切り替わりました。
「やっぱり、自分には無理だ」
基礎学力が不足している自分がこのまま大学を退学して、新たに受験浪人生活を送るという決断を下すほど私には覚悟はありませんでした。
夏休みの最終日には、久しぶりに大学の学友から電話がかかってきて、元の大学生活へと切り替えて行きました。
自分の不足感を極力見て見ぬ振りをしようと努めながら。
1年次は2科目ほど単位を落としたものの、なんとか2年次に進級することが出来ました。
1年を通して、こんな自分でも試験をパスすることが出来るという実績から、余裕が出来始めていた時期でもありました。
けれども、自分の中で大学に進学したことで成長したと実感できるような感覚は皆無に近い状態でした。
◆ 自分で考える力がなかったために味わった羞恥心
ある講義の中での出来事です。
細かい課題例は覚えていませんが、
「どうすればみんなが幸せになれるか」
と、言うような議題が学生全員に出題されました。
私は、
「こんな混沌とした世の中は未来を感じられないから、社会全体が変わって欲しい」
というような他力本願的な意見を提出しました。
その言葉には、私自身の心中を投影していたのです。
講義の最後で、教授が集められたいくつもの意見の中で、印象的だったものを発表しました。
こともあろうか最もダメな意見の代表例として、私の書いた意見を声に出して読み上げられました。
「こういう人任せの意見が一番良くない。自分で考えて、自分からアクションを起こす人間にならないといけない」
まるで晒し者に吊るしあげられたかのように厳しく指摘をされました。
それだけでも、赤っ恥だったのですが、更に追い打ちをかけるかのよう展開が待っていました。
続いて対照的な素晴らしい模範意見として、隣で一緒に講義を受けていた友人の意見が選ばれたのです。
どうして自分はこんなに無力なんだろう・・・・・・。
高校時代にあれだけ周りにもてはやされて、いつも成績上位優秀組だったのに、大学に入った途端、すっかり落ちこぼれの部類に入っていました。
上には上がある現実をとくと突き付けられたのです。
高校時代は中間期末テスト直前期だけに集中にして、一夜漬けに近い勉強方法で通用してきましたが、暗記中心になっていたため、自分で考える力が培われていなかったのです。
周りの一般入試組の友人達は、苛烈な受験戦争を突破したことから、ポイントを理解して、長時間の講義に耐えられる忍耐力、自分で考える力が身についていたのです。
コツコツと長い大学受験を乗り越えてきた同級生と、評定平均を上げるのみに神経を傾注して、比較的得意だった面接試験と小論文で推薦合格できた自分。
温室育ちでぬくぬくと歩んできた自分と、長い時間、荒野で揉まれて生きぬいてきた同級生。
目に見えた学力の差を痛感しました。
まさに、リアル版「アリとキリギリス」のようでした。
私のターニングポイントは無知と基礎学力の低さを認めたことから始まったのです。
私は周囲の誰よりも劣等感に苛まれていましたが、極限状態にまで追いつめられてことで、「自分が変わらなければいけない」覚悟が芽生えたのです。
上記の教授が言っていたように、「世の中を改善するためには、自分で考えて行動できる人間にならなければならない」という言葉が身に染みて反芻されました。
無知だったら、気付いた今から築いて行くしかない。
自分だからこそできる道を万進して行けばいいんだ。
自分を変えるためのきっかけは、「無」ではありませんでした。
幼少時代の小さな成功体験や、何かに挑戦している時のワクワク感など、ヒントは過去にありました。
私の場合は、無知で劣等感の塊だからこそ、新しい自分を築くための挑戦がスタートしたと言えるのです。