数年前から定期的に発信している記事で、「当たり前のことの大切さ」をこの機にお伝えしたいと思います。
試験傾向が変わりつつある社会福祉士国家試験受験のみならず、受験合格や目的達成のためには、「当たり前のことを淡々とこなすことの大切さ」が要となってきます。
毎日必ず問題集をこなす。
やると決めたら、絶対にノルマをこなす。
毎日復習は欠かさない。
地味のようですが、この繰り返しで、合格レベルに達する実力を培えるのです。
一部の外野の人間は、
「そんな当たり前なことわかってるし、もっとマル秘テクニックみたいなものを知った方が楽に受かるんじゃないの?」
なんて野次を飛ばしてくるかもしれませんが、私は当たり前のこと以外に確実で結果を伴う方法を知りません。
戦国時代から安土桃山時代にかけての茶の達人として名を馳せている千利休と弟子とのやり取りで、有名な逸話を紹介します。
千利休が弟子に「茶の湯の神髄とは何ですか」と問われた時の、『利休七則』という問答からです。
茶は服の良きように
炭は湯の沸くように置き
夏は涼しく
冬は暖かく
花は野の花のように生け
刻限は早めに
降らずとも雨具の用意を
このように相客に心せよ。
この言葉を聞いた弟子は、
「師匠、何を今さら当たり前のことばかり並べ立てられるのですか」
千利休は次のように返しました。
当たり前のことを十分に実行できるのならば、私があなたの弟子になりましょう。
当たり前のように思っていることも、実践するのは当たり前のように簡単ではないという教えです。
勉強面以外でも、この当たり前が日常生活で習慣化された方は、合格後に社会福祉士や精神保健福祉士として職に就いた後にも得をすることになります。
挨拶やお礼、相槌や相手の立場になって物事を考える視点を持つなどのコミュニケーション面を当たり前に実践している人間は、現場でも即活かされます。
社会人にとっては、報告・連絡・相談(いわゆるホウレンソウ)が基本ですが、実は自分のこととして実践するとなると当たり前のようでなかなか行動に移せなかったり、省略して仕事にあたってしまうことが少なくはありません。
必要な場面になって、「今忙しそうだから話しかけない方がいいな」と自己判断してしまい、結局タイミングを逃して話せずじまいになって後々に不利益を被るようになったという顛末も珍しくはありません。
そんなことが起きないようにするためにも、「当たり前のことは当たり前に実践する」という基本中の基本を行動に移せた学生時代や新人時代に回帰すると初心を取り戻せることもあるものです。
当たり前のことを当たり前に行うことほど難しいものはないと年を重ねるほど痛感しますが、それを実践できた時の効果を体感しているからこそ重要性を認識しています。
そして当たり前の行動を重ねていると、たくさんの方向から「ありがとう」が返ってくるものです。
ところで、「ありがとう」の言葉の反対は「当たり前」であることをご存知でしょうか。
ありがたいは「有難い」、つまり当然ではなくて現実的に起こりづらいことなのです。
類義語では、奇跡とも言い換えられるでしょう。
健康だから試験を受けられる。
周囲の応援があるからこそ受験と両立しながら挑める。
知識があるのはもちろん、漢字が読めるから問題文の意味が理解できる。
こうしてみると、実は当たり前だと思っていたことは突き詰めると有り難いことで、表裏一体のようにも思えてきます。
重病に侵される等、何か一つ歯車がズレていたら、そもそも試験自体を目指せなくなっていたかもしれません。
当たり前のように思っていたことを角度を変えて見直してみると、新たな気づきや気持ちが芽生えてくるものです。
その過程や背景には自分だけの力だけではなく第三者の協力があったり、日々の努力の蓄積があったからこそ立ち向かえる自分に気づけると、いざという場面で最大限の実力を発揮できるかもしれません。