お盆シーズンに入りましたが、お住まいによっては台風の影響が深刻で、とても気が休まない方も多いことだと思います。
みなさんは、今、仕事生活はいかがでしょうか。
この絶対合格ブログをご覧の多くは、社会福祉士等の資格試験を目指されたり、意識されておられると思われますので、現状に満足していないという回答が返ってくるかもしれません。
福祉業界に10年以上身を投じている私ですが、はっきり言って理不尽なことばかりの日々を送っています(苦笑)。
情熱や努力を全面に出しても、成果につながりにくい世界ですし、他の職員の支援方針と対立するような場面や、多職種とやり取りをする中で、テキストや問題集に頻出する「連携」がスムーズに行かない場面を幾度となく経験しています。
または、一見上手くつながったように見えても、相手事業所の利益につながるよう利用されていると感じられる瞬間が何度あったことかと、振り返りながらまとめています。
できれば、個別具体的な理由を挙げながらあるある事例を紹介したいところなのですが、我々には「守秘義務」という重い制約を課されているため、安易に職場内で起きているケースをつぶさに公開できない事情もあります。
そのため、仕事で引きずったケースを身内に話せないところもあり、不完全燃焼のまま自分で解決しなければならない宿命を抱えることにもなります。
堅苦しい話をしてしまいましたが、本当に理不尽で納得のできないことが多々あります。
休みの日になっても思い出しては、消化できずに、悶々としたまま気が漫ろのまま過ごしているだなんてことも、数え切れないくらいあります。
こういう時に、いかに気持ちを切り替えるかという視点が大事にされていますよね。
実際に、セルフケアの考え方もそうですし、YOUTUBEを観ても、対策動画が複数投稿されています。
どれ中身を観てみると、「気にしない」「運動や趣味で切り替える」という解決法が揃っています。
確かに、参考になることもありますが、「それができないから苦労している」とツッコんだ時もありました。
まるで、気持ちを切り替えられない自分が異常じゃないかと、動画投稿者の言うように、気持ちを強く持って、ストレスを上手くコントロールできないと、人生を損しているのではないかとみじめに思えてしまうこともあります。
自分の正義を貫くために、問題解決のために闘うという選択肢は、相当なエネルギーを要します。
私は20代前半、初めての会社で上司の理不尽な要求に、どうしても納得できずに反旗を翻したことがありました。
以下、極力ぼかしながら当時の出来事をまとめました。
私が職員会議の場で、上司に噛み付いた結果、私への態度が急変し、やることなすこと圧迫されるようになり、居心地が悪くなり、辞めることになりました。
元々私は体育会な人間はなく、目上の人間と争った経験もありませんでしたので、毎日ストレスフルで、試行錯誤の連続でした(逆に言うとそれほど例外的に許せない出来事でした)。
若気の至りもあり、当時は不正は許せないという一心で、闘うことに疑念はありませんでした。
その経験から、なるべく荒波に揉まれない道を選ぶようになりましたが、それでも、許せないものは許せないし、納得の行かないことを看過できない場面は確かにありました。
理不尽な思いとの向き合い方は簡単ではないと思います。
対策動画やセフルケアのように、気分転換を図れても、また形を変えて、予告なしで訪れることもあるからです。
その時に、どう自分を守るか、物事を捉えるのかという視点は、長い人生の中で欠かせない問題でもあります。
私の場合はですが、まず、理不尽に対して、独りでは闘いを挑みません。
私の考えが世の中の常識や水準から逸脱しているのか、単なる感情論なのか、私の見解がズレているのかを知るために、信頼できる同僚に意見を尋ねたり、新しい資格試験の勉強に取り組むなど、視野を広められるようにしています。
社会に出れば七人の敵がいるというたとえ言葉がありますが、最低、一人か二人は自分の違和感に共感、理解を示してくれる方が必ずいるのです。
例えば、前述した20代前半で上司と闘った時も、同僚が一緒になって上司に口論してくれましたし、いつも仕事が終わった後に、作戦会議のように電話で意見交換を繰り返していました(笑)。
そして、当時は私がパンドラの匣を開けてしまったようで、上司の理不尽な言動を好ましく思っていなかった職員から不満を聴くことも増えました。
その結果(と言っても必ずしも因果関係があるとは断言できませんが)、私が退職した年度末に4人も退職するという異例の形になりました。
もしも協力者が傍にいないとしても、研修や資格試験で職業倫理を学び、知識を得たり、他者と交流を図ることで見識が広がるメリットがあります。
そして、理不尽な思いをした事象の結末を迎えることで、自分の違和感の正体が間違っていなかったことを知ることもあります。
私が理不尽を覚える根拠として、リスクマネジメントの考え方をベースにすることがあります。
まず、リスクマネジメントの考え方として、「ハインリッヒの法則」「スイスチーズモデル」「スノーボールモデル」があります。
一番なじみがあると思われるのが、ハインリッヒの法則で、1件の重大事故の裏には、29件の小さな事故、300件のヒヤリハットがあるという労働災害の経験則です。
1件の重大事故は、1件だけではなく、背後には無数のヒヤリハットが隠れているという考え方です。
スイスチーズモデルはここでは割愛しますが、スノーボールモデルは、医療現場で生じる事故のモデルで、1つのエラーが別のエラーを誘発し、そのエラーがさらに別のエラーにつながって患者のところまで到達し、雪だるま式に事故が増大することがあるという考え方です。
実際に、理不尽な思いをした出来事や支援の行く末を見ると、重大な事故につながったケースや、職業倫理から逸脱したことで、不利益が生じたような結末がいくつもありました。
理不尽な思いを繰り返している中で、自分を強く持つというのはとてもしんどいことではあります。
右に倣え式にしたり、気にしないように努められれば楽になれるのかというと、そうではないとわかっているから苦しいのでしょうし、前述したように、看過してしまうと、大事故につながるようなケースもあるかもしれません。
また、合わせ鏡のように、相手を見て自分の嫌な部分と向き合わざるを得ないこともあるでしょう。
私も理不尽な思いと向き合っている中で、ベストな答えは導き出せていませんが、反面教師にしつつ、自分ができることを確実に行うことに尽きます。
モヤモヤは晴れませんが、因果応報のように、必ず、自分を曲げなくて良かったと思えるような結末を何度も見てきました。
どうしても耐えきれなくなったら、転職や退職という選択が現実的になるでしょう。
残念ながら、他人を変えることほど難しい課題はありませんし、トップの方針が強固であるほど、不正を流せなかったり、賛同できない真面目な人間は、続けられないような世界になっているからです。
世の中がそうであるように、この記事のオチも上手いまとめ方ができませんが、少なくとも理不尽な思いと向き合っている人間はここにもいます。
この社会のどこかで違和感を覚えながらも、スルーできずに、なんとか現状打開に向けて奮闘している人間がいる。そう思えることで明日を踏み出す勇気が芽生えたら、それこそ、福祉職の原点のように、つながることの大切さを覚えられるでしょう。
死にたいと言ってください ―保健所こころの支援係― : 2 より