水谷先生との出逢いから
『インターネット・セラピーへの招待―心理療法の新しい世界』
『メールカウンセリング―その理論・技法の習得と実際』
インターネットの中で、「E-mail」によるメールカウンセリングを用いて、心理技法を活用されている事例から、構成されています。問題点、課題、効果、可能性、技法等が書かれており、私自身も参考になりました。
2005年、私がサイトでの活動を開始して1年が経過した頃、「夜回り先生」で有名な、水谷修さんの著書サイン会に参列したことがありました。
そこで、水谷先生と会話した時のことを鮮明に覚えています。
当時、大学生だった自分は、水谷先生ならば、私の活動を理解してくれるのではないかという期待を込めて、話をさせてもらいました。
「君のやっていることはキケンだぞ」
思ってもみない一言が返ってきました。
私は水谷先生と話す番がやってきた時、気持ちの昂ぶりを抑えて最初に告げた内容はこうでした。
「私は今、自分のホームページを通して、明日に悩み、行き場を失っている方たちを支えられるような活動を一年半続けてきました」
そしてその後に、「私も少しでも世の中の苦しんでいる人たちのための力になり、水谷先生のように一貫してやっていくつもりです」と伝えるつもりでした。
しかし、前に挙げた二行の伝達を述べたところで、私の発言を遮っておっしゃったのが、
君のやっていることはキケンだぞ。
の第一声でした。
私は予想外の反応に言葉を失い、唖然とする他ありませんでした。
水谷先生はこう続きました。
インターネットを通じて追い詰められた若者たちが集まり、苦しみを語り合うのは非常にキケンだ。
そこに救いは存在しないし、彼らの心の闇を救ってあげられるのは素人では至極困難だ。
自分もホームページを運営していた手前よくわかるが、傍から見れば実際あたかも一人で相談者たちと向き合っているように見えるだろうが、バックには精神科医の全面的な指導のもと活動しているんだ。
だから、素人が彼らに手を差し伸べるのは非常に難しい。下手すればミイラ取りがミイラになってしまうよ。キケンを冒さずに苦しくなったら彼らをオレのところに送ってくれ。
というものでした。(実際とは一部異なります。私が自分なりに要約したものです)
私は返す言葉が見つからず、思っても見ない返答に、黙ってその言葉をかみ締める他ありませんでした。
サインを書き終えてもらい、何とも言えない気分でその場を立ち去ろうとしたところ、
「無理するなよ」
と、最後の言葉を送ってくれました。
あれから数年が経ち、一言では表せない様々な濃い体験がありました。
当時、水谷先生ならば、自分のやっていることを理解してくれて、励ましの言葉をかけてもらえるという期待がありましたが、今だからこそ、先生がおっしゃっていた言葉の意味と、その重みをひしひしと感じています。
自分の弱みをや、誰にも話せない過去をさらけ出して、救いを求めてくれる人々に、本気で向き合わなければならない。
私はこれまでメールと相談室では、相談者様から1円たりともお金を頂戴したことはありません。
それは、目の前で救いを求めてくる人に誠意をもって対応したいという姿勢を示すためでした。
中学高校生が頻繁に相談を寄せてくるのも、無料だからのメリットとも言えるでしょう。
マイナビ社でコラムを連載した時には、
「偽善者」「きれいごとばかり並べてるんじゃない」
等の批判を受けたこともありました。
たとえ、無償行為であろうと、自分を信じて心を開いてくださった相手に、適当な対応は許されないと自分を鼓舞して続けてきました。
私の対応によって、相手をますます追いつめてしまうリスクも兼ね備えているため、慎重に向き合ってきました。
そこには責任という二文字がついて回ったのです。
2500名と接してきた中で、私は、後悔、反省、ふがいなさ、力不足を幾度となく痛感してきました。
あなたの言っていることは難しすぎて分かりません。
もっと自分を認めてほしかったのに。もういいです。
後は自分でどうにかします。さようなら。
1年間関係を続けてきた大学生が最後に残したその言葉を今でも鮮明に覚えています。
「何のために続けているのか」という、堂々巡りの自問自答を数えきれないくらい繰り返してきました。
前述したように、偽善なんじゃないかという疑念も幾度となく付きまといました。
どれだけ経験を積んでも、何が正しくて、間違っているのか、絶対的な答えなんて断言できないのです。
2012年の12月末から今日まで、約70件の相談が寄せられましたが、個々人の話をうかがっていると、生きづらさが苛烈化している実態が浮き彫りになってきます。
最期にあなたに出会えてよかった。もう努力してもどうにもならない現実を知りました。
死ぬ決意ができました。さようなら。
という高校生の書き込みや、5000字を超えるSOSのメールを読んでいると、胸が張り裂けそうな思いでいっぱいになります。
正直、もうこれ以上独りで抱え込むのは限界なんじゃないかという気持ちに陥ることも何度もありました。
友人、知人は、私の取り組みを聴いて、
「そんなに無理して自分が潰れてしまったらもっともこもないよ」
と異口同音に警告されました。
君のやっていることはキケンだぞ。
数年前に残った水谷先生のあの言葉がしきりに反芻します。
それでも、私はドロップアウトできませんでした。
私は無力かもしれない。
私の言葉で傷つけてしまうかもしれない。
それでも、続けてこられたのは、こんな自分を必要としてくれる人がいて、その先に、「ありがとう」が返ってくるからです。
ずっと一人で活動してきたつもりでしたが、気が付けば私を支えてくれる同志や、師匠とも呼べる存在達が傍にいました。
そして、オフ会等で、かつてやり取りしたことがある方々と対面して、努力して生きている姿を目の当たりにすると、
「やっぱり自分は続けていきたい」という決意が強くなりました。
社会福祉士の役割の中でも、「連携」が大きなキーワードになっています。
私はこれからも、つながりを意識しながら取り組んでいきます。
そして、みなさんが社会福祉士に就かれた暁に、協働できるような機会があれば、素晴らしいと思いますし、その日が訪れることを楽しみにしています。