『インターネット・セラピーへの招待―心理療法の新しい世界』
『メールカウンセリング―その理論・技法の習得と実際』
インターネットの中で、「E-mail」によるメールカウンセリングを用いて、心理技法を活用されている事例から、構成されています。問題点、課題、効果、可能性、技法等が書かれており、メール相談を続けてきた私自身も参考になりました。
君のやっていることはキケンだぞ。
2005年、私がサイトでの活動を開始して1年が経過した頃、「夜回り先生」の名で有名な、水谷修さんの著書サイン会に参列したことがありました。
既に9年が経とうとしていますが、当時、短い時間ながら、水谷先生と会話した時のことが鮮明に残っています。
当時、20代前半の大学生だった自分は、他者の為に命を懸けてまで尽力されている水谷先生ならば、私の活動を理解してくれるのではないかという期待を込めて備えていました。
私は水谷先生と話す番がやってきた時、気持ちの昂ぶりを抑えて最初に告げた内容はこうでした。
「私は今、自分のホームページを通して、明日に悩み、行き場を失っている方たちを支えられるような活動を続けています」
そしてその後に、「私も少しでも世の中の苦しんでいる人たちのための力になり、水谷先生のように社会貢献するつもりです」と伝えるつもりでした。
しかし、私の発言を遮って先生がおっしゃったのが、
君のやっていることはキケンだぞ。
の第一声でした。
私は予想外の反応に言葉を失い、閉口する他ありませんでした。
水谷先生はこう続きました。
インターネットを通じて追い詰められた若者たちが集まり、苦しみを語り合うのは非常にキケンだ。
そこに救いは存在しないし、彼らの心の闇を救ってあげられるのは素人では至極困難だ。
自分もホームページを運営していた手前よくわかるが、傍から見れば実際あたかも一人で相談者たちと向き合っているように見えるだろうが、バックには精神科医の全面的な指導のもと活動しているんだ。
だから、素人が彼らに手を差し伸べるのは非常に難しい。下手すればミイラ取りがミイラになってしまうよ。キケンを冒さずに苦しくなったら彼らをオレのところに送ってくれ。
というものでした。(先生の言葉を私が自分なりに要約したものです)
私は返す言葉が見つからず、思っても見ない返答に、黙ってその言葉をかみ締める他ありませんでした。
サインを書き終えてもらい、何とも言えない気分でその場を立ち去ろうとしたところ、
無理するなよ。
と、最後の言葉を送ってくれました。
当時、水谷先生ならば、自分のやっていることを理解してくれて、励ましの言葉をかけてもらえるという期待がありましたが、今だからこそ、先生がおっしゃっていた言葉の意味と、その重みをひしひしと感じています。
自分の弱みをや、誰にも話せない過去をさらけ出して、救いを求めてくれる人々に、本気で向き合わなければならない。
私の対応によって、相手をますます追いつめてしまうリスクも兼ね備えているため、慎重に向き合ってきました。
そこには責任という二文字がついて回ったのです。
3000名を超える相談者様と接してきた中で、私は、後悔、反省、ふがいなさ、力不足を幾度となく痛感してきました。
あなたの言っていることは難しすぎて分かりません。
もっと自分を認めてほしかったのに。もういいです。
後は自分でどうにかします。さようなら。
1年間やり取りを続けてきた大学生が最後に残したその言葉を今でも鮮明に覚えています。
メールを媒介した相談援助は限界なのかもしれない。
その都度、無気力感とやるせなさに支配されて、「何のために自分は続けているのか」「何が正しいのか」という、堂々巡りの自問自答を数えきれないくらい繰り返してきました。
ただの自己満足、偽善行為なんじゃないかという疑念も幾度となく付きまといました。
2013年を振り返っても、個々人の話をうかがっていると、まさに時代の反映か、生きづらさが苛烈化している実態が浮き彫りになってきます。
最期にあなたに出会えてよかった。もう努力してもどうにもならない現実を知りました。
死ぬ決意ができました。さようなら。
という高校生の書き込みや、5000字を超えるSOSのメールを読んでいると、胸が張り裂けそうな思いでいっぱいになります。
正直、もうこれ以上独りで抱え込むのは限界なんじゃないかという気持ちに陥ることも何度もありました。
友人、知人は、私の取り組みを聴いて、
「そんなに無理して自分が潰れてしまったらもっともこもないよ」
と異口同音に警告されました。
君のやっていることはキケンだぞ。
数年前に残った水谷先生のあの言葉がしきりに反芻します。
それでも、私はドロップアウトできませんでした。
私は無力かもしれない。
私の言葉で傷つけてしまうかもしれない。
それでも、続けてこられたのは、こんな自分を必要としてくれる人がいて、その先に、「ありがとう」が返ってくるからです。
私は、個々人のエンパワーメントを高めるきっかけ作りにシフトしていくようになりました。
ずっと一人で活動してきたつもりでしたが、気が付けば私を支えてくれる同志や、師匠とも呼べる存在達が傍にいました。
そして、オフ会等で、かつてやり取りしたことがある方々と直接対面して、努力して生きている姿を目の当たりにすると、
「やっぱり自分は続けていきたい」という決意が強くなりました。
2014年に入り、私の中で意識が変革している大きな点があります。
一つ目は、メール中心の相談援助活動を縮小して、リアルタイムでの支援に力を入れていくという方向性です。
水谷先生はたびたび講演会の中で、現代の若者の精神が荒んでしまう一因になっているのは、インターネットの世界でのコミュニケーションが深刻化しているからであることを指摘されています。
身近な世界の人間にSOSを言えずに、こうして第三者に投げかけてくる方が確かに存在します。
メールで自分の本音を開示できたということをプラス思考に捉え、リアルタイムの世界でまた一歩踏み出せるように支援を続けてきた私ですが、メール特有の感情の機微が伝わりづらかったり、意図していることが伝わりにくいデメリットもしばしば経験しているため、メール援助はあくまでも補助的な扱いにとどめる視点に切り替えています。
二つ目は、私の活動に協働してくださる方との連携にも力を入れていくことです。
社会福祉士の役割の中でも、「連携」が大きなキーワードになっています。
それぞれの立場や役割を目的遂行のためにつなぎ合っていきたいと思っています。
そして、みなさんが社会福祉士に就かれた暁に、協働できるような機会があれば、素晴らしいと思いますし、その日が訪れることを楽しみにしています。