◆ 自分で考える力がなかったために味わった羞恥心
ある講義の中で、細かい事例は覚えていませんが、
「どうすればみんなが幸せになれるか」
と、言うような議題が学生全員に出題されました。
私は、「こんな世の中を変えるように政治家達にどうにかして欲しい」
と、他力本願的な意見を書いた紙を提出したのですが、こともあろうか最もダメな意見の代表例として、教授は私の書いた意見を声に出して読み上げました。
「こういう人任せの意見が一番良くない。自分で考える力がない人間にならないといけない」
まるで晒し者に吊るしあげられたかのように厳しく指摘をされました。
それだけでも、赤っ恥だったのですが、更に追い打ちをかけるかのよう展開が待っていました。
続いて対照的な素晴らしい模範意見として、隣で一緒に講義を受けていた友人の意見が選ばれたのです。
友人は涼しい顔をして自分の書いたその言葉を反芻していました。
どうして自分はこんなに無力なんだろう・・・・・・。
高校時代にあれだけ周りにもてはやされて、いつも成績上位優秀組だったのに、大学に入った途端、すっかり落ちこぼれの部類に入っていました。
上には上がいる現実をとくと突き付けられたのです。
中堅大学と言えど、流石大学は最高学府なわけです。
考える力や、自発的に課題を解決できる力が身についていない私が順応できるはずもありませんでした。
高校時代は中間期末テスト直前期だけに集中にして、一夜漬けに近い勉強方法で通用してきましたが、暗記中心になっていたため、自分で考える力が培われていなかったのです。
周りの一般入試組の友人達は、苛烈な受験戦争を突破したことから、ポイントを理解して、長時間の講義に耐えられる忍耐力、自分で考える力が身についていたのです。
コツコツと長い大学受験を乗り越えてきた同級生と、評定平均を上げるのみに神経を傾注して、面接と小論文だけで楽々と推薦合格できた自分。
温室育ちでぬくぬくと歩んできた自分と、長い時間、荒野で揉まれて生きぬいてきた同級生。
目に見えた学力の差を痛感しました。
まさに、リアル版「アリとキリギリス」のようでした。