※はじめに、この記事では「福祉職は素晴らしい仕事なので、安易に辞める選択肢は選ばずに、めげずに頑張りましょう」という趣旨では展開していません。
しんどいことが前提でいかに現実と折り合いをつけていけるか、いけないかについて考えられるようなヒントになれるような内容に心がけました。
4月も半ばに入りましたが、新年度に入ってから気分が滅入っている方に向けて、福祉の仕事は辛いことが多いという前提で展開しています。
どのようにストレスを溜め込まずに続けて行けるか、限界が訪れた時の退職についてを経験則から描いています。
- ●無気力な日々が続いていたら
- ●精神疾患の割合は増加の一途を辿っています。
- ●これだけ頑張っているのに報われないという思いの裏には
- ●人の心はどうにもならないと諦めること、割り切ることも必要です
- ●それでも辛いならば、退職するのも新しい人生の始まりです。
「こんなに福祉の現場がキツイとは想像していなかった」
入職後に早速こう叫んでいる方は多いのではないでしょうか。
これから社会福祉士・精神保健福祉士試験を受けられる方や、福祉業への転職を志している方々に対して、このような記事を発信することで、マイナスの影響を及ぼしてしまう可能性も踏まえています。
理想と現実と向き合うことになった際に、多角的に考えるためのきっかけになれば幸いです。
●無気力な日々が続いていたら
精神保健福祉士・社会福祉士資格取得後に念願の福祉職に携わることが適った。
社会のために、利用者のために、これまで培った経験と知識を最大限に活用して寄り添い続けてきたものの、日に日に心労が蓄積してたまの休日には身も心もくたくたで、何もする気力が湧かずに出勤を憂いてしまっている自分がいる。
テレワークができるような業種ではないし、現場は少人数で回しているので、愚痴や弱音も吐きづらく、そもそも休みを取りにくい空気が漂っている。
先輩や上司も同僚も余裕がないようで、相談をしにくい雰囲気で、針の筵のような日々を送っている。
何事もなく無事に一日が終わるのを願っていて、ようやく帰宅した後も切り替えができずに、疲労感が蓄積していて、仕事の不完全燃焼のことばかり思い出してしまって、寝付きも悪くなってしまっている。
私自身も社会福祉士として現場に経ち続けて10年以上が経ちますが、上記にまとめたような無気力感や負のスパイラルは経験済みです。
特に、自分と考え方が180度異なるような先輩や上司と関わる中で、「かくあるべき」像を説かれ続け、どんどん自分を見失って行くようになり、出勤そのものが億劫になっていった時期もありました。
頑張れば頑張るほど報われる世界ではないのが福祉職の特徴ですが、自分を頼ってくれる利用者様や、何とか現状を打開しようと奮闘されている方を前にすると、出来る限り応えようと力みすぎてしまうことが多々有りました。
現在もしんどさを覚えることは日常のようにたくさんあります。
若者の就職支援を続けてきて、自分よりも年収が高く、安定した職種に就いた利用者の笑顔を見ていると、やりがいを覚えると同時に、自分自身もこのままこの場に身を寄せていてよいのだろうかと、アイデンティティが揺らぐこともあります。
自分がやっていることは正しいのか、誤った方向に進んでいないか。
自分自身の生き方はこれで良いのか。
自問自答の連続で心が擦り切れそうになることもありますが、対人援助職では一人で抱え込むことほど危険なことはありません。
●精神疾患の割合は増加の一途を辿っています。
下記の通り、福祉職に携わる方の精神疾患の割合は年々増えています。
近年、社会福祉士がうつ病といった精神的に問題を抱えるというケースが増えています。厚労省によれば、社会福祉士も属する「社会福祉、社会保険、介護事業」における精神疾患による労災請求件数は、2010年度時点では85件でしたが、2014年度には140件まで増加。介護サービス職業従事者の精神障害による請求件数も増えつつあるのが現状です。
「介護労働実態調査」(2013年)によれば、介護職に就いている人が退職した理由として最も多かったのが「職場の人間関係に問題があったため」(回答全体の26.6%。複数回答)。職場における上司からのパワハラ、他の職員からの陰湿な嫌がらせ・いじめを受けたというケースは非常に多く、また援助対象者である利用者とのトラブルも少なくないようです。
そして、同調査で2番目に多かったのが、「法人や施設・事業所の理念や運営のあり方に不満があったため」で、回答全体の22.7%を占めています。就職するにあたって、事業所の理念、運営方法について一通り説明を受けてはいるものの、実際に働き始めてから「こんなはずではなかった」と不満を感じるようになるわけです。
引用元
「燃え尽き症候群(バーンアウト)」というキーワードは精神・社会福祉士試験のキーワードで必須用語でもあるので、ご存じの方が大多数であるとは思いますが、対人援助職の福祉の現場では陥りがちです。
責任感が強く、自分が何とか相手を救いたい、幸せにしたいという思いが強い程、理想と現実の乖離から無気力状態に変わり果ててしまうことがあります。
また、
これだけ頑張っているのに、見合った賃金だとは思えない。
職場から評価されずに、成長の可能性を感じられない。
このような孤立無援状態でも罹ってしまうリスクが高くなります。
厚生労働省が4月上旬に公表した2018年度の介護従事者処遇状況等調査結果によると、介護職員の平均給与で最も高かったのが特別養護老人ホームの職員で、平均額が33万2260円という数字が出されていましたが、「そんなにもらえるわけないだろう!」とツッコみたくなる現場の職員は少なくはないと思います。
●これだけ頑張っているのに報われないという思いの裏には
「どうしてこれだけ頑張っているのに自分は報われないのだろう」という虚無感に支配され続けているとしたら、内面には目を背けたくなるような心の傷を抱えている場合もあります。
相手のためを思っての言動のようで、実は自分自身が肯定感を高めるためや満足感を得るための行動のことを「メサイアコンプレックス」と言います。
思い当たる節がある方や、興味がある方は、下記書籍やサイトをご参照ください。
●人の心はどうにもならないと諦めること、割り切ることも必要です
結局のところ、他人は自分の期待通りには行きませんし、思い通りにいかないのが人の心です。
自分だけの力で何とかしようと四苦八苦したり、他人を救うことで満たさない心の隙間を埋めようとすると、ますます心が塞がってしまう結末が待ち構えています。
「こんなはずではなかった。もう限界だ」
最終的に精神疾患に罹ってから退職を余儀なくされても、それから回復するまでの道のりや失うものが大きすぎます。
一人で頑張りすぎない。
抱え込まない。
他人を変えること、期待しすぎることを諦める。
そのように割り切ることや、他人を巻き込むような能力がこの世界で長続きする上で必須だと感じ続けています。
新人の頃は、どこまで関わったら良いのか、自分に何ができて、できない部分はどうサポートすれば良いのかがまだつかめなくて当然です。
私は入職一ヶ月目〜三ヶ月目までがキツさのピークで、一日に10回は「辞めたい」と心で連呼していましたし、ぎっくり腰になるという身体の不調からもストレスが表出したことがあります(まさかその後10年以上社会福祉士の仕事が続くことになるとは夢にも思いませんでした)。
「分かりません」「教えてください」と声を出しても許されるし、新人だからと大目に見てもらえるアドバンテージがあるので、我慢し続ける必要はありません。
そのまま誰にも相談できずに抱え込んでも自分自身だけではなくて職場にとってもメリットはありません。
私の知り合いに、入職して周りの動きについていけずに、「教えてください」という声がかけられないまま3日で仕事を辞めてしまった方もいらっしゃいます。
指示待ちで自分から考えて動かないと生き抜いていけないのがこれからの社会では通用しないとつくづく感じました。
繰り返しますが、自分一人だけで対処しようとするのが対人援助に求められているスタンスではありません。
場合によっては自分よりもふさわしい場所や人間がいるならばコーディネートできるような視点を持つことが利用者だけではなくて、自己負担を減らせる生き方につながります。
こうして見ると、対人援助職には専門知識はもちろんですが、コミュニケーション能力がどこの場面でも求められていることに気付かされます。
「そんなの痛いほど分かっているよ。そのコミュニケーションが上手くいかないから悩んでいるんだよ!」
そういう指摘がありそうですし、私も決してコミュニケーションが得意だとは自覚してはいないので、万人と上手くやっていけているとは思ってはいません。
立場的にコミュニケーションを円滑に図るのが難しい機関や、相性が悪く、苦手だと感じる利用者様もいます。
無理に誰ととも仲良くしようとしても限界が訪れるし、返って苦手意識が相手に伝わってしまって距離が開いてしまうのを痛感しているので、
「苦手だと思ってしまうのは仕方がない」
と諦めるように心がけています。
また、愚痴を言い合えるような仲間や友人を持っておくことや、興味を持てる対象や趣味をいくつかストックしておくことがいかに大切なのかを実感しています。
コロナ禍の影響で福祉職への転職を決意された方や実際に入職された方もいらっしゃると思います。
異業種というのもあって、より神経をとがらせながら取り組まれている方や、今までの常識が通用しなかったり、職員とのコミュニケーションに四苦八苦されていたりする方も多いのではないでしょうか。
人と人とのつながりを重視する福祉職、ストレスフルの環境で奮闘されているみなさんの存在は本当に尊いと思っています。
医療、介護、児童、障がい、地域社会、どの分野をとっても、みなさんが必死に働かれていることで、救われている存在が確かにいるはずです。
私ができることはこうやってブログを続けてメッセージを打ち続けることくらいしか今はありませんが、福祉の現場でみなさんが誰かのために一生懸命な姿を想像してはパワーをいただいています。
目の前で支援を必要としている人間に愛情を注いでいるみなさんのおかげで福祉社会が成り立っていると私は誇りに思っています。
けれども、みなさん自身の代わりはこの世にただ一人も存在しません。
身を粉にして仕事に没頭することで、心が消えてしまう前に、どうかリタイアという道を選ぶ一歩を踏み出していただきたいです。<下記に続く>
●それでも辛いならば、退職するのも新しい人生の始まりです。
どれだけ対処法を見たり、聴いたりしても、現実は非情で、特に職場の人間関係は、そう簡単に変わるものではありません。
どうしてもソリが合わない人間が一人どころか数人職場にいて、自分の力だけではどうすることもできずに、ストレスが高まる一方の方もおられるかもしれません。
または、賃金が割に合わないからと、モチベーションがダウンしっぱなしの方もいらっしゃるでしょう。
先日、ある動画で目にしましたが、「我慢」と「忍耐」のどちらが今の状況に該当するかどうかで、現状維持か進路選択かを判断すると良いというものがありました。
その明確な違いは、その先に成し遂げたい目標やビジョンが具体的に浮かべられるかどうかだそうで、忍耐と言える場合は、まだ続けるだけの意義がある可能性が高いとのことでした。
自分の身が擦れるほど耐え続けても全く現状が変化しないどころか悪化しているように感じたら、退職するという選択も間違いではないでしょう。
辞め時、続ける時の見極めは難しいですし、家庭を持っていたり、金銭面の事情で踏ん切りがつけられないような方もいらっしゃるでしょう。
自分の人生や生活を豊かにするために働いているはずなのに、いつの間にか会社を豊かにすることから脱却できずに、心身を擦り切らせてしまっているという現実は、そもそもの目的から逸脱していますよね。
そんなに心がギリギリの状態が続いていて潰れてしまうくらいならば、リセットしてしまうことを私は強くオススメします。
他人だからそんな簡単に口に出せると思われる方がいたとしても、第三者だからこそ言わせてもらっている点があります。
私の元上司の話ですが、仕事一徹の20年で残業も1日5時間は繰り返していました。
ある夜、過労が祟って脳出血で倒れて帰らぬ人となりました。
過労死と認定されたわけではありませんが、身近にそのような出来事が起きたことで、命の代わりは存在しないことを再認識させられています。
会社の代わりはいても、あなた様の代わりはこの世に誰一人もいません。
適応障害やうつ病等、精神に重篤な病気を抱える前に、見切りをつけて去るのも、思い切って休職を選んで離れるのも、自分を守るための能力です。
心が限界を感じていたら、一人で抱え込まずにどうか「助けて」「苦しい」と声に出してSOSのサインを発信してくださいね。
みなさんのその声を拾って支えてくれる誰かが傍にいます。
『死にたいと言ってください ―保健所こころの支援係― : 2 』より