このブログでは好意的なメッセージを送ってくださる方が多いですが、かつては誹謗中傷が相次いで、哀しい思いをした時期がありました。
数年前に、マイナビ社で、自筆のエッセイを100回分発信させていただいた時期がありました。
mixiやAmebaニュースで同時に配信いただいていましたが、読者からの感想は必ずしも温かいものばかりではありませんでした。
読者からのコメントを見ていると、
お前は何様だよ。
お前に言われたくない。
お前は性格が歪んでいる。
この偽善者が。
人として終わってる。
表出ててこい!ボコボコにしてやる。
ここでは書けないようなコメントも含めて、見えない相手から、矢継ぎ早にこのような言葉を浴びせられて落ち込んでしまった事が多々ありました。
「わかって欲しい」
という気持ちが根底にあったため、伝わらないもどかしさを感じていました。
ネットは、相手の顔が見えないため、悪い想像が増長されていきました。
その都度、
自分がやっていることは偽善じゃないだろうか。
そこまで言われてまでも、続ける意味はないんじゃないだろうかという自問自答が重なりました。
浮き沈みを繰り返しながら、寄せられたコメントを読んでいるうちに、万人に理解してもらうのは不可能に近いことに気付きました。
人はみんな考え方や捉え方が異なるからです。
しだいにそう受け止められるようになって行きました。
そう考えないと、やっていけませんでした。
毎回同一人物が批判コメントを書いていたり、他者のライターの記事にも共通して攻撃的な言葉をぶつけている人がいることにも気付きました。
ネットは匿名性のメリットとして、自分の感情やウサをたやすく第三者にぶつけやすいものです。
ストレスのはけ口にしている愉快犯も存在しているのです。
そんなことがあって、真に受けていたらやっていけなかったので、自分を必要としてくれる人のために書いて行ければいいと割り切るようにしました。
ある時、サイトのオフ会の参加者の前でこの話題を口にした際に、
「言わせておけばいいんです。自分は応援しています」
という言葉で、救われる思いになったことを覚えています。
達観できるようになったわけではありませんが、以前よりも気は楽になりました。
私がこうして4年目を続けていられるのも、必要としてくださるみなさまの温かいお言葉があるからです。
このブログを通して、日本中の誰かのお役に立てればと言う思いと、一方で私の放った文面で傷つけてしまっているかもしれない危険性を意識しながら常に記事をリリースしています。
全てはみなさんの合格につながりますように。