今回は、福祉支援の現場で私が感じている問題点についての考えをまとめてみました。
社会福祉士や精神保健福祉士有資格者のみならず、対人援助職で向き合うことになる「支援とは」という基本スタイルについてです。
私が教育・福祉の仕事に携わって20年弱の月日が経とうとしていますが、支援のあり方については、「何が正解なのか」試験問題のように、一つないし二つに絞りきれるものではないと感じ続けています。
絶対的な正解が存在しない対人援助の仕事ですが、最近、「支援者として忘れてはならない姿勢」について考えさせられる出来事があったので、思考の整理も含めて記事にしました。
結論から言うと、支援者が先回りして、クライエント(以下CL)の世話を焼きすぎてはならないということです。
この業界に長く身を置いていると、「このままの方向性で行くと、この人は不幸になってしまうに違いない」という未来ビジョンが視えてしまうものです。
福祉とは、人を幸せにするお手伝いを目的にしているので、不幸にならないように手立てを講じることは、支援者として必要な姿勢ではあります。
個別に支援計画を立てたり、SST(ソーシャルスキルトレーニング)やカウンセリングを実施したり、福祉制度につなげたりすることも、支援者としては基本的なスタンスであるでしょう。
ただし、常に忘れてはならないのは、「CLが必要としているのか」「CLにとってニーズがあるのか」という視点です。
CLは、「今現在困っている」または「困っていることに気づいていない」という視点を持っている場合がありますが、支援者は「過去」「現在」「未来」の視点を持ち、CLのニーズを満たすための支援やサービスを展開することになるでしょう。
前述したように、「このまま救いの手を差し伸べなかったら、将来困ることになってしまう」というビジョンを支援者側が持つのは専門職として自然のように思えるかもしれません。
ですが、CLが求めていない又は十分にニーズを確認していないのにも関わらず、あれやこれやと支援者側が安全な進路を敷いて上げるの行為は、CLにとっては不幸につながるリスクもあるのです。
このまま医者につながならいままだと、心身ともに衰退してしまうけれども、本人が恐怖から一人では行けず、同伴支援として、支援者が初回受診に付き添うという行為は、「医療につなげる」という目的を達成するためには、一つとして有効な手段でしょう。
けれども、相手が求めていないのに、「ここでこうしてあげないと、不幸になってしまう」という支援は、寄り添いではなくて、支援者側のエゴになってしまうリスクがあると言うことです。
そうやって、支援者側が迷子にならないように、手塩にかけるかのように安全ルートを用意してしまうと、CLが「自分で考えて、自分で責任を持つ生き方」を構築しにくくなってしまいます。
支援者はいずれCLから離れなければならない時が必ず訪れますが、そうなった時に、CLが自立して巣立っていけるかどうかの明暗を左右するのは、支援者がどれだけ尽くしたのかではなくて、CLが自分で取捨選択できる力を養えているかどうかだと私は考えます。
CLが卒業や就職を転機に、いざ大海に進んだ後に、悩み、傷つく体験が待っているのが現実です。
その時に、自分で乗り越えられる力もしくは必要に応じて自分を助けられる場所や人間、制度を選択できる力こそが肝心になってきます。
ずっと護られ続けてきた人間が、いざ窮地に陥った時に、自分で乗り越えられる力を身につけられているかどうかです。
先回りして、傷つかないように支援者が選択肢を用意し続けるのは、過保護になってしまうリスクがあります。
本来ならば相手が考えられる力や可能性を奪ってしまうことにもつながります。
中には、「実績を上げなけれならない」という業界事情で、そのような支援をせざるを得ないという方もおられるかもしれません。
相手の可能性やニーズを満たすことよりも、実績重視をモットーにしている会社では、支援者側が実績に結びつくような進路に誘導せざるを得ない場合もあるかもしれません。
色んな事情があるとは言え、支援者側が己のエゴでCLの未来を先導してしまわないように、自分視点だけではなくて、チームアプローチや他機関とのカンファレンス、スーパービジョン等を通して、自分の立ち位置を再認識し、多角的な視点を持つように務めることも大事です。
対人援助職は、人の人生に直接影響する立場にいるため、独善的な支援ほど怖いものはないと思います。
業務に必要だったり、関連する資格取得を目指すことで、理論として目からウロコの知識を学べたり、仲間と巡り合えって情報交換したりできるメリットもあります。
正解が存在しない世界ではありますが、独りで抱え込んで、自分だけの力で乗り越えようとはせずに、支援者自身も誰かに頼ったり、時にはSOSを発信しながら、みんなで支援するスタンスを大切にして行きたいと思いながら、この記事を終わりにします。