合格発表日から早1週間が経ちました。
ブログも来年度受験に向けて少しずつ面舵を切り替えて行こうと思っています。
まだまだ受験日までは時間があるので、本格的な受験対策ではなくて精神保健福祉士・社会福祉士試験の関連情報を中心に紹介して行きます。
まずは、そもそも私が資格試験を取得するようになったルーツを数回にわたって紹介します。
決して頭が良くなくても、精神・社会福祉士試験のみならずあらゆる資格試験に合格することは可能であることを感じ取っていただければ幸いです。
第31回社会福祉士試験学校別合格率を確認すると、受験者数が10人以上の上位トップ5は合格率が80%を超えていました。
大分大学
大阪市立大学
徳島大学
京都府市立大学
福井県立大学
いずれも国公立の大学です。
トップ10までを見てもほとんど国公立大学であることが際立っています。
この事実だけ見ると、大学入学時点で基礎学力が固まっている学生達が多く、その時点で差が開いてしまうのではないかとさえ邪推したくなる方もいらっしゃるかもしれません。
ここで、社会福祉士試験受験以前、学生時代の私のスペックを紹介します。
・中学時代の3教科模試偏差値の平均は40台
・偏差値50台の高校卒 ※推薦入試で合格
・偏差値50台の私立大学卒(文学部)※推薦入試で合格
・高校時代の代ゼミ模試3教科偏差値が平均40台
この遍歴を見てどう感じられるでしょうか。
受験に耐えきるだけの基礎学力を培えておらず、面接や小論文という比較的得意分野で突破してきたという点があります。大学そのものの入学偏差値よりも、受験偏差値が平均以下ということが物語っています。
基礎学力が標準以下の私でも精神・社会福祉士試験の両試験を突破できたことからも、「頭が良くないと受からない」「大学偏差値が高くないと受からない」という常識は、先入観や固定観念に過ぎないと言えます。
毎年のように、私がブログで資格取得を重ねてきたエピソードを載せると、「自慢するレベルに値しない」と厳しいコメントを送ってくる方がいますが、おっしゃる通り自慢できるような実績は残せていません。
基礎学力が平均以下だった私でも、勉強の取り組み次第で結果を出せたという経験から、絶対合格へのモチベーション作りに転換していただければという思いから掲載しています。
私の半生を振り返ってみて、成績面にスポットを当てることで、みなさんの現状打開のヒントにつながることを願い、本日から数回に分けて発信します。
◆ 中学校時代
通知表は年間通してオール3(5段階中)に近いごくごく平凡な児童でした。
1教科だけに注目すれば、大苦手の数学は2を取っていた時期もありました。
「同級生が行っているから」という、やらされている感を抱えながら通っていた学習塾でも散々なレベルでした。
授業にもついて行けないことがあって、同級生の中でも成績は最下位でした。
英語のテストで3点(しかも、択一問題で運よく正解)を叩き出した挙句には、先生からも呆れられて見放されていました。
勉強はつまらない、けれどもどんどん難しくなっていって、周りからはどんどん距離が開いていく。
その焦燥感と劣等感で心には深い闇が広がっていきました。
私は小学時代から、勉強が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
学校から課せられている学問の何が楽しいのか一切分からずに生活していました。
何のために受験を目指すのか。
先人が用意したレールにただ黙ってついて行くことに違和感が募っていく一方で心が追いつかずに、放棄するようになって行くのです。
早く中学を卒業したい。
高校は偏差値が平均以上であれば、こだわりはない。
わざわざ受験勉強などで嫌な思いをせずに、楽に受かれるところで良いという完全に勉強から逃避していた生き方を貫いていました。
そんなスタンスですので、成績が上がるはずがありませんでした。
先述した通り、大の苦手の数学のテストでは、5点や15点といった結果が当たり前でした。
「証明」という分野の授業では、「こんなものを覚えて社会の何の役に立つのか」という疑念が知的好奇心を抑制して、ますます勉強そのもの自体を厭うようになりました。
教科書を開くこと自体が嫌で、楽して乗り越えられる方法ばかり模索していました。
三度の飯よりゲームが好きで、暇さえあればゲームに熱中していました。
そんな勉強嫌いな私も、いっちょ前にプライドだけは高く、秀才組の友人に囲まれていた中で、常に学力コンプレックスを抱えていました。
私は勉強が嫌いなわりには、プライドだけは高くて、私よりも成績が高い同級生を脇目に、「自分だって、やればできるはずなんだ」と、心の中で劣等感を抱えつつも、来るべき時に向けて闘志を常に燃やしていました。
当時の心境は、
「俺はまだ本気を出していないだけ」でした。
そんな私が一度だけ本気でテストに取り組んだことがありました。
中学最高の成績は2年の春でした。
成績が上がらないことへの起爆剤になるためにか、親が「中間テストで、学年50位以内になれたら、NIKEのエアマックスを買ってあげる(当時流行物でした)」という最高級の人参をぶらさげました。
喉から手が出るほど欲しかった自分は、人生初の猛勉強をした結果、140人中32位に入ることができました。
モチベーションの大きさを身を持って体感した出来事でした。
同時に、褒美で釣られた外的要因で取り組む勉強は長続きしないというものも痛感しました。
これが最初で最後の好成績でした。
その1年後に自分の無力さを痛感する局面が訪れました。
中3になって初めて受けた検定試験でもある漢検3級試験です。
6人くらいの秀才組の同級生が同時受験した中で、自分だけが唯一の不合格者になったのです。
実は唯一誰にも負けないと自負していた科目、小学校時代に結果が出ていたのは、漢字テストでした(学年1位でした)。
なぜだかわからないけれども、漢字だけは自発的に取り組めたのです。
中学校に進学した後も、初めての国語の授業で自己紹介をした時に、教師から、「漢字博士なんだよね」と、ビックリさせられる言葉をかけられました。
恐らく、小学校当時の功績が担任から引き継がれていたのでしょう。
背景から聴こえる「すごい!漢字博士なんだ」というクラスメイトの声から、恍惚を覚えました。
瞬く間に同級生の間で、「あいつは漢字がすごい出来るらしいぞ」という評判が広がりました。
しかしながら、井の中の蛙は、間もなくして初めての挫折を味わうことになります。
私は、漢検の事前勉強は一切せずに臨みました。
かつての「漢字博士」の栄光が残っていたため、無勉でも十分に受かる自信がありました。
しかしながら、その結果は、衝撃的なものでした。
200点中100点あまりという散々な成績でした。
漢検は単なる読み書き問題だけではなく、正誤書き換え、四字熟語や対義語類義語など、総合分野から出題されるため、漢検問題集を使わずに受けたところで、太刀打ちできませんでした。
かつての栄光である漢字博士の称号によって、漢字能力だけでプライドを保ってきたわけですが、すっかり有名無実になってしまいました。
まさに「アリとキリギリス」を実体験で痛感したような気分でした。
それ以来、打って変わって、漢字に対して逃げ腰になってしまいました。
これによって、ますます勉強に自信を失って行きました。
続く