なんとしても合格したい試験にもう4年も挑戦し続けているが、未だに結果が伴わない。
就職試験を30社以上受け続けているが、面接に進むどころか書類選考ではねられ続けている。
挑戦すればするほど空回りしてしまうと、
「自分はこの先報われることがないのだろう」という絶望感に苛まされてしまうものです。
そして、
もう、疲れた。
もう、無理かも。
思うようにならない現実に無力感を覚え、チャレンジすることそのものを諦めたくなってしまうほど、心が弱まっている状態かもしれません。
そんな明ける気配のない冬の時代だからこそ、自分を向上させられる準備期間とも言えるのです。
自分の可能性を信じて下準備をしている人間には必ずチャンスが舞い込んできます。
今回紹介するのは、劇場版『MOZU』を筆頭に男前俳優として有名な西島秀俊さんです。
その西島さんが、1997年から2002年までの5年間、民放ドラマの出演を禁止されていたという忍耐の時期があったことをご存じでしょうか。
1993年に出演した「あすなろ白書」という名作ドラマで一躍注目を浴びた西島さんでしたが、所属していたプロダクションとの方向性の違いで移籍を決断することになりました。
プロダクション側はアイドル路線で売ろうとしていましたが、西島さんは先見の眼を持っていました。
これから先の時代に売れるのはアイドル路線ではなくて、演技力を備えた役者と見立てていたのです。
自身もキャリアを積んで息の長い俳優を目指したいとして、お互いの主張が真っ向から食い違いました。
もともと映画好きで裏方志望だった西島さんは、やたらチヤホヤされたり、人気がなくなれば使い捨てされるアイドル的な扱われ方に納得いかず、ついに決裂。
事務所移籍とひきかえに、民放ドラマ5年間出演禁止という条件をのまされたとのことです。
所属先から足抜けをした先に待っていたのは、日の目を見ることなく、自分と向き合う続ける日々でした。
仕事がしたくても仕事が入ってこないという日々が5年間も続いたら、大抵の人間は心が折れるか、方向路線をしてしまうものです。
西島さんは一体どのように過ごしていたのでしょうか。
西島さんは、酒や女性に溺れることなく、ひたすら1人で映画館に入り浸っていたそうです。
食事を摂る時間さえ惜しんで、映画館の暗闇の中でおにぎりをパクつき、ハシゴしては見続けました。
その数、何と年に300本以上。
5年間の全てを自分が目指している役作りに費やしたという徹底ぶりでした。
その間2つの映画作品に携わったようですが、実力の片鱗を示すかのように、主演男優賞も受賞したようです。
この当時を「自分にとっての革命の始まり」と話していたようです。
長い冬の間でも、西島さんはぶれることなく自分の将来を見据えて地力を固めていたのです。
そんな忍耐の時期にも転機が訪れます。
2002年になって、北野武監督による映画「DOLLS」の主役に抜擢されたことで、出演解禁と同時に運命が大きく変わり始めました。
『今から監督が会ってくれるからテレビ局に行け』と言われ、すぐさまバイクで駆けつけた西島さんは、監督との面談を交わします。
1分弱くらいで、『はい!じゃ!!』と言われて、その流れで出演が決まったそうです。
まさに今までが嘘のようにとんとん拍子に事が運んだのです。
それから仕事が次々に入り込んでくるような好循環へと切り替わって行きました。
光の裏には陰がある。
暗黒時代に人知れず実力を伸ばし続けたからこそ、第一線で活躍されている西島さんが存在しているのです。
得てして物事というのは自分の思い通りに行かないものです。
運命をたたって、自分の殻に閉じこもりたくなるのも致し方がありません。
そんな時こそ、ピンチはチャンスという逆転の発想を忘れてはなりません。
自分の進むべき道、自分が進みたい道を信じて、万全に用意をしておけば、何年かかっても、大逆転させることは夢ではないのです。
あと1回試験を受けてみたら、
たとえすぐでなくても、更に力をつけてから再チャレンジしてみたら、今度こそは今までとは違う展開が待っているかもしれません。
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