今回紹介するのは、日本人なら誰もが知っているであろう有名人、カーネル・サンダースです。
街角で目にするケンタッキーの店先で微笑んでいるあのカーネルおじさんです。
今年で没後43年が経とうとしていますが、カーネルさんはケンタッキーフライドチキンのフランチャイルズの創業者でもあります。
カーネルさんは、屈託のないあの笑顔とは裏腹に、想像を絶するような苦労を経験してきました。
自身が編み出したフライドチキンのレシピを売り出すために、100回断られたどころか、1009回ものNOを突き付けられた来たのです。
カーネルさんが飛び込み営業を始めたのはなんと65歳になってでした。
カフェレストランを運営していましたが、売り上げが激減してしまい、泣く泣く手放すことになりました。
年金をもらえる歳になっていましたが、月にわずか105ドルしかもらえませんでした。
そこで考え付いたのが、カフェで人気メニューだったフライドチキンの作り方を飲食店に売って、売れた分だけ数セントのロイヤルティを交わすという作戦でした。
年金は車のガソリンに費やして、以後2年間もアメリカ中を横断するようになります。
もちろん、ホテルなどに泊まるお金はないので、車の後部座席がベッドの代わりです。
食事は見本で作ったフライドチキンです。
カーネルさんは1000回以上断られても諦めることなく、一軒一軒レストランを回り続けたのです。
カーネルさんは後に、成功した秘訣をインタビューで尋ねられた際に、
「自分には特別な才能は一切なかったと思う」
と答えています。
ワシはただ二つのルールを守って来ただけなんじゃよ。
『できることはすべてやれ。』
『やるなら最善を尽くせ。』
これが何かを達成するための唯一の流儀じゃないかな。
『最も奉仕する者が最大の利益を得る。』
『我が身の前に他人に奉仕せよ。』
以来ワシは、物事を行う際これら二つのモットーに従うように努めてきたんじゃ。
「美味しいもので人を幸せにしたい」という強い信念をもとに、1000回以上NOをぶつけられても諦めなかったカーネルさんの半生を知ると、『幾つになっても遅くはない』という言葉も、理想論ではないような勇気を与えてもらえます。