社会福祉士国家試験「今年こそは絶対合格計画」

社会福祉士・精神保健福祉士国家試験に40日以内で一発合格した管理人の学習法をベースに、不安を不っ飛ばして“安心”に変えられるブログを目指しています。

私の宅建受験体験談 その3

終わった・・・・・・。



初めて宅建試験を受けてから早3年目の試験は、絶望的な手ごたえでした。


私は不合格の衝撃に屈指ずに、意地とプライドでここまで辿り着いたのでした。



三度目の正直の試験でしたが、どうあがいても合格ラインに到達している自信はありませんでした。


解き終えた感触でそう悟ったのは、再受験の経験から生じたものでした。



今年もまたダメだったか。2度あることは3度ある。


帰り道はすっかり意気消沈していました。



宅建は法律の登竜門的資格。


三か月もあれば、独学でも容易く受かるものだと想像していました。


気が付けば石の上にも3年。


まさかこれほど思い通りにいかない試験だとは想定外でした。



自分のやり方では独学合格は不可能なのかもしれない。

もう宅建試験には合格できないと見切って、今年限りでドロップアウトした方が身のためかもしれない。



完全に不合格モードに切り替わった私は、宅建3年間が走馬灯のように流れて、何とも言えない虚無感に支配されていました。


自分には宅建試験は向いていなかったんだ。


そう納得させる他、沈んだ心を制御できませんでした。



毎夜、眠れずに、新しい情報を暗中模索しながら、心を鎮めようとしていました。


心の中では、


「あと1点さえ取れていれば、あんな凡ミスさえしなければ、こんなに不安になることはなかったのに」


と、堂々巡りを繰り返していました。



終わったんだし、女々しくて、そんなちっぽけなことを引きずってないで、気持ちを切り替えなよ!



時にはこのような言葉を耳にすることもありました。



言ってることは理屈では分かるのです。


でも、当事者でないと、この不安な気持ちは共感・理解できないものなのです。


毎日が不安の連続で、ネットを徘徊しては最新情報や受験生の声を拾い集めていました。



そんな首の皮一枚のような日々をなんとか潰されずに過ごしていた私に追い打ちをかけるかのように、更なる動揺が襲いました。



合格発表日まで1週間と迫り、カウントダウンを切ったある日、突然何の前触れもなく試験センターから「没問発表」が待っていたのです。


問題文の誤植によるいわゆる不適切問題の発表です。


これにより受験生に+1点措置がなされ、ボーダーが上昇することは免れない事態に立たされました。


そんな緊張がピークに達した合格発表前夜、週刊住宅オンラインが日付変更ともに、合格率・合格ラインをフライング発表したのです。


 
 宅建試験、合格ラインは36問(史上最高点)」




この非情な数字タイトルを目の当たりにした時は、真っ青になりました。


この瞬間、一ヵ月以上も騒がれてきたボーダー予想議論に終止符が打たれ、一瞬にして現実を突き付けられるのです。


私の自己採点は何を隠そう36点だったのです。


かすかな期待を捨て切れずに、朝までほぼ一睡もできないまま起きていました。


時は刻々と過ぎていきます。8時20分頃になると、親には、


「今年も落ちたと思う」
と言い残して、出勤のために家を出ました。


「また来年も受ければ良いじゃん」と、希望を失いつつある私に言葉を返してくれました。


この気持ちを抱えたまま職場に向かうことほど足取りが重いものはありませんでした。


いつもの駅のホームに着いて間もなく、携帯に母親からの着信が鳴りました。


「忘れ物でもしたのかな」と思いながら複雑な気分で出ると、



「なんか郵便局から宅建の通知みたいなものが届いたけれど」


と、寝耳に水の発言を聴かされました。




一瞬にしてそれが何を意味をしているかを理解した時には、朝の通勤ラッシュの人ごみをよそに、猛ダッシュで踵を返しました。


あの時の私はたとえるならば、ドラゴンボールに登場する宇宙一のスピードを誇る“バータ”の如く、自分が自分でなくなったかのように一目散にダッシュしていました。

百聞は一見にしかずです。


家に戻ることで遅刻してしまう可能性もありましたが、もはや理性が飛んでいました。




時間にして3分くらいで自宅に着くと、神棚に“電話で知らされた正体”が飾ってありました。

 
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この瞬間、合格を実感したのです。




これだけ時間がかかってしまった私にとっては、正直合格の実感は湧かずに、ようやく試験の悩みから解放された安堵に満ちていました。

終