
遡ること9年前、私が大学4年生の最後の春に受検した漢検準1級試験結果です。
「合格まであと1点」
この無慈悲な現実を目の当たりにした時に、私はあまりにものショックでその場に崩れ落ちました。
自宅のPCの前で、インターネット合否判定でその結果を知ったわけですが、それから2週間後くらいまでの
記憶はほとんど残っていません。
よほどショックが大きくて、その反動から記憶からその期間が抹消されてしまったのかもしれません。
ただ唯一覚えているのは、不合格を受けたその1時間後に、胸部に激しい痛みが生じて、自分では動けないくらいの異変に我慢できず、家族の力を借りて救急外来に運ばれていったことです。
レントゲンを撮った後の診断結果は異常なしでしたが、極度の心的ストレスが要因だと言われ、精神安定剤を処方されました。
私はその薬名と、医師の処置を受けて、ますますふがいなさと絶望感が広がりました。
当時私は、漢検準1級にすべてをかけていました。
それまでの半生を振り返っても、誰かに誇れるような実績は何一つありませんでした。
私は何よりも、「これだけは頑張った」という証を大学生活中に刻みたかったという強い念が芽生えていたのです。
漢検に受かったところで、就職先が保証されるわけでもなければ、女性にモテるようになるわけでもありません。
傍から見れば、自己満足の世界と評されてもおかしくはなかったと思います。
それでも、私はがむしゃらになれたこの挑戦から、結果を残したかった一心でした。
私は四年生の大学卒業後に他大学進学を視野にいれており、当時漢検受検と並行して他大学の編入試験の勉強にも着手していましたが、最終的には漢検の方に全精力を傾注するくらい漢検受検にかけていました。
しかし、力足りずに、あと1点足らずで不合格に散ったのです。
もしもあと1問正解していれば。
もしもあの時、消しゴムであの答えを消していなければ。
どうすることもできませんが、やるせなくて仕方がありませんでした。
現実を認められませんでした。
次第に、自分を見失って行き、不合格の烙印を前にして、
やっぱり偏差値40の勉強嫌いで苦手の自分にはレベルが高すぎたのかもしれない。
という、虚脱感、自己卑下の念に何度も苛まれました。
不合格から1週間が経ち、私は再起動を誓いました。
堕ちるところまで堕ちたら、後は這い上がるだけで、ここまでやってきたのだから、合格するまでは諦められないと切り替えられるようになったのかもしれません。
それまで沈んでいた自分が嘘かのように、「こうなったら、圧倒的勉強量で9割合格してやろう!!」という半端ない気合がみなぎってきました。
過去4年分の問題集を追加購入して、次こそは絶対合格をスローガンに本番を迎えました。
そして、その次の試験で、念願のリベンジ合格を果たすことができたわけです。
社会福祉士試験合格発表日から1日が経とうとしていますが、不合格のショックから立ち直れない、気持ちを切り替えられないという方は少なくはないと察します。
あと1点、2点という合格目前で悔し涙をのまれた方を想像すると、決して他人事ではありません。
それも誰もが想像しなかった88点という高水準です。
厚生労働省で合否を確認している順番待ちの受験生をよそに、一瞬思考がフリーズしたくらいの衝撃でした。
一夜明けても未だに胸の奥が詰まるような気持ちでいっぱいです。
合格を信じていた戦友でもあるみなさんの無念のコメントを目にする度に、やり場のない悔しさや虚無感が襲います。
1日くらいでは気持ちを切り替えられなくてもなんらおかしくはありません。
私が今回このエピソードを紹介したように、私自身も不合格のショックというものを幾度となく経験しているので、痛いほどその気持ちが伝わってきます。
「自分だけ取り残されてしまった」という孤独感や疎外感にうちひしがれている方もいるかもしれません。
もしかしたら、あまりにも合格ラインが高水準だっために、かえって諦めがつきやすかった方もおられるかもしれません。
私にできることは、こうしてブログで思いを発信し続けることだという結論は変わりませんでした。
この悔しい経験を未来へ。
私自身がそうだったから。
もしも不合格をあれだけ経験していなかったら、このブログは今日まで続けてこられませんでした。
まだまだ先は長いのですから、あなた様のペースで取捨選択されれば、きっと笑福到来します。
みなさんの蒔いた種が開花する日は目前だと私は信じています。