第35回社会福祉士試験、第25回精神保健福祉士試験合格発表日からまもなく1週間が経とうとしています。
毎日に日にアクセス数が減っていることからも、既に絶対合格ブログを巣立った方が多くいらっしゃることがうかがえます。
そんな中、この記事をご覧いただけているということは、今回受験されて「あと数点だった」という当事者なのかもしれません。
今更ですが、社会福祉士・精神保健福祉士格試験以外の資格試験にも共通していますが、合格点が設定されていることから、1点の差で合否が分かれるという非情な現実が存在しています。
受験者数にもよりますが、1点によって数百人から数千人の受験生の命運が分かれるとも言われています。
その現実と向き合われた方の気持ちはなかなか他者には理解しがたいものがあるかもしれません。
受け止め方は人それぞれですが、試験に人生を賭けていた方や進路に直結されていた方からすれば、「惜しかった」の一言では割り切れない心境に陥っているかもしれません。
4年前の合格発表日に行った電話企画で、「病院のMSWとしての内定が取り消しになった」と淡々として声で報告してくださった女性の方がいらっしゃいました。
その方の将来が合否によって大きく転換されてしまった現実を知ることとなり、何とも言えない無気力感や脱力感に支配されました。
年に一回だけの試験で、同級生全員が受かって自分だけが取り残されてしまった無力感や焦燥感に駆られている方の声も毎年のように届きます。
将来の選択肢を失ってしまったような闇に覆われて、自信を失ってしまい、「来年こそは絶対合格」と安易に気持ちを切り替えられないでもがき苦しまれておられる方のお声をうかがわせていただきました。
先日の記事で一部扱いましたが、私自身も資格試験で1点泣き、1点に笑う両極端な経験を体験しています。
自己採点と資格学校が発表する模範解答を照らし合わせると、合格できるかどうかの予想はつくものですが、やはり現実的に不合格を知った瞬間は、相当辛いものです。
「もしかしたら受かるかもしれない」という期待値が大きいほど、落胆してしまいます。
特に、「あと数点」で落ちた方や、多年受験の方、就職がかかっていた方は、なかなか心の切り替えがつけられないものでしょう。
私の場合、思い出すのは12年前に宅建試験を受けて2年連続で合格発表日に不合格を知った瞬間は、絶望の淵に立たされていました。
一年目は完全に宅建試験をなめてかかっており、問題集を一周した学力で挑んだため、50点中の26点という散々な結果でした(合格ラインは平均して7割です)。
ですが、2回目はその反省から、一年かけてやれるだけの学習を積んでいたため、「今年こそは絶対合格」という強い気持ちで挑んだのですが、本試験問題を開いて顔が真っ青になったのを覚えています。
全然手応えがなくて、結果的には33点(6割)で、前年度よりも得点は上がりましたが不合格を繰り返すことになりました。
合格発表日にツイッターで合否結果でサーチすると、私よりも10歳くらい年下だと思われる20代前半学生の
「宅建一発合格できた(^^)v」
というつぶやき等が次々と目に入ってきて、2年もかけて合格レベルに達していない自分への無気力感や絶望感に押しつぶされていました。
そうして、一か月くらい気持ちの切り替えができずにいたある日、ユーキャンの宅建講座の案内が自宅に届いていました。
受験前に一度取り寄せたことがありましたが、不合格者には、新年度向け宅建講座のススメが届くようになっているようです。
眺めてみると、ちょうど自分が不合格の烙印を押された回に合格できた受講生の合格体験談が載っていました。
年輩の方、社会人の方、主婦の方など、広い年齢層で、様々な受験理由を持つ方々の合格エピソードが載っていました。
その中でも目に留まったのは、高卒・フリーターで、今まで勉強が嫌いだったけれども、宅建取って人生変えようと一念発起して、ユーキャンを選んで一発合格したという20代前半くらいの男性の声でした。
「まじ嬉しいっす!
やれば出来るってことが証明できたっす」
見出しで、合格証書を抱えながら満面の笑みを浮かべる男性を見て、不合格の屈辱感に近い気持ちが俄然湧きました。
自分はこの人に負けたんだ。
そんな敗北感に近いものが襲ってきて、再び不合格の重みに押しつぶされそうになりました。
忘れかけていたどす黒い感情に支配されていく自分が嫌で、ユーキャンの案内をしまったのを覚えています。二度と冊子を開くことはありませんでした。
相対評価で難易度補正が行われる試験では、合格点が回によって上下するので、以前ならば合格できた点だったのにと、やるせない気持ちを覚える方も大勢いらっしゃるでしょう。
相対評価の第4回公認心理師試験は合格点143点という例年よりも5点上がった回に終わり、合格発表日には138点~142点で悔しい思いをされる方の声がネット上で多く見られました。
合格できるという期待から、合格発表日に番号を照らしわせた瞬間、自分の番号が載っていたなかった時の虚無感は辛いです。
悔しさ、やり場のない怒り、自分だけが残された孤独感や、焦燥感、劣等感等、様々な感情が押し寄せてきて、一朝一夕で気持ちを切り替えられない心境はよくわかります。
私も宅建不合格当時は、「なんでも自分だけが先に進めないんだ。漢検準一級は受かったのに、どうして宅建は受からないんだ」と、答えが見えない迷宮入りをしていました。
来年受けられるかどうか未知数の不安や、どうしても今年受かっておきたかった悔しさは他の誰にも語れないような筆舌に尽くしがたい思いを抱えていることでしょう。
1年に1回の試験でも、数回チャンスがある試験でも、発表が終わった今、ここから気持ちを立てなおすことに専念できる時間でもあります。
漢検準1級試験に登場する四字熟語で、
捲土重来(けんどちょうらい)
という言葉があります。
以前敗れた者が、いったん引きさがって勢いを盛り返し、意気込んで来ることという意味合いで、私がリベンジ合格を目指す上で、常にこの言葉をお守り代わりにして生活していました。
私が宅建を2年目に受験した時に、オリエンタルラジオの中田敦彦さんの妻福田萌さんが初挑戦されており、自己採点では30点だったそうです(ちなみにこの年の合格ラインは36点でした)。
その後、NHKの番組で、FP3級に挑戦したことを皮切りに、2級に合格を果たして、行く行くは宅建に再チャレンジすると意気込みを語っていました。
このように一見遠回りのように見えても、着実に力を身につけて再チャレンジを目指すという道もあります。
その後、前述した第4回公認心理師試験に「あと数点」で不合格になり、不合格という現実がここまで重くのしかかるものなのかと、打ちひしがれる1年を過ごすことになりました。
絶対合格ブログ管理人で受験生を応援する立場なのに、一発合格できずになんて情けない。
リアルの政界でも不合格になった知り合いは皆無で、自分だけが取り残されたような虚無感と焦燥感に常に支配されていました。
今振り返っても、あの当時の自分は結果が出なくて、出口の見えないトンネルにさまよいこんだようで、必死にもがいていましたが、それでもあきらめなくてよかったと強く思っています。
あの経験がなければこの絶対合格ブログが存在せずに、この記事もあなた様にお届けすることができなかったからです。
先日の記事でも触れましたが、福祉の現場では、「将来への絶望感」や「無気力感」を抱えながら生きておられる方々と向き合う機会が多々あります。
どうせ自分なんかという自己卑下や今更感に苛まれている方や、成育歴や家庭環境が複雑すぎて介入することが難しい「正解が一つではないケース」が次から次へと訪れます。
もう無理だという窮地から自力で這い上がった経験をしていることで、他でもない自分自身を奮い起こす原動力にもなります。
感情労働と言われているように、すぐには解決できるようなケースの方が少なくて、長時間精神をすり減らすこととなり、しんどいことの連続と言っても過言ではありません。
今回のように、挫折とも呼べる経験を味わったことは、決して無駄ではないどころか、いざという場の底力になります。それは私の現場経験で実証済みです。
それに本気で取り組まれたみなさんの価値は不合格という結果で変わるものではありません。
たとえ望むような結果を得られなかったとしても、自分だけが取り残されたようでも、あなた様自身の価値が下がるということは断じてありません。
結果が全てと言われていますが、まだ挑戦する気持ちがある限り、そういう機会を得られる限り、諦めない限りチャンスはまだつかみ取れます。
絶対合格さえつかみ取れれば、今抱えている自信喪失感や「それでも受けようかどうか、受けることの意義」についての煩悩も雲散霧消します。
前述したMSWの内定を取り消されたMさんとは、三年前の合格報告電話企画で再び再会しました。
その後1年間、MSWではないものの業務補佐のような仕事を与えてもらえたようで、退職せずに勉強と両立しながら、見事に絶対合格をつかみとったという吉報を教えてもらいました。
晴れてMSWとしての一歩を踏み出すこととなり、この経験を無駄にせずに「回り道した自分だからこそできる支援に努めたい」と意気込まれていました。
自分だけが取り残されてしまったような先の見えない辛く孤独な受験生活も、合格を掴み取っている自分と、その先をイメージングすることで、乗り越えていけるものです。
人には言えない心の葛藤と向き合われたみなさんの「経験」が次回の試験時だけではなくて、その先に展開する新しい進路に活かせるはずだと信じたいですよね。
今年こそは一点に泣いたあの日々から一転して、大逆転勝利をともに喜び合いましょう。
あなた様の可能性をずっとずっと信じ続けております。