先日扱った国家資格キャリアコンサルタント学科試験のみならず、社会福祉士・精神保健福祉士国家試験の傾向を見ていると、「過去問を丸暗記しただけでは国家試験は受からない」と感じさせられます。
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なぜ私がそこまで強調しているのかと言えば、毎年試験傾向を分析しているというのも理由の一つではあります。
福祉の専門家である証明の社会福祉士や精神保健福祉士試験が、ただ過去問を丸暗記しただけで誰でも合格できるならば、合格率は6割を超えるでしょうし、国家資格の価値が疑われますよね。
もう一つの理由として、私自身が過去問を丸暗記受験して、不合格に遭っているという実体験が根幹にあります。
典型的な失敗体験の試験名は「宅地建物取引士」です。
通称宅建、法律の登竜門資格と言われているこの試験は、社会福祉士試験と難易度を比較されることもしばしばある国家試験です。
私はこの資格試験を独学で挑みましたが、2年連続悔し涙を味わっています。
3度目の正直、それは社会福祉士試験を受ける2ヶ月前のことです。
絶対合格ブログでは、私の宅建受験失敗談は年間通して何度も開示していますが、それだけ勉強法の原点になっている濃い歴史があるからです。
前述したように、宅建の難易度は法律の入門資格として位置付られていて、「独学でも半年あれば合格できる」という情報をネットや合格者の声から複数耳にしていました。
この「楽勝で受かる」という誤った見立てを持ったことで、まさか3年もの月日を受験生活に費やすことになるとは学習開始当初は夢にも描いていませんでした。
合格率で慢心を覚えていたところもあります。
宅建の合格率は毎回17%前後で、当時10%の漢検準1級に合格できた自分から見れば、「過去問回せばイケるだろう」と、高をくくっていました。
漢検、英検、秘書検と言った三大検定試験で培った、「過去問暗記式で全分野回せば受かる」という経験則から、宅建のテキストと過去問の二冊をゲットして学習を開始することにしました。
いざテキストを開いて宅建士の全体像を眺めると、あまりにもの範囲の広さに唖然としました。
その時の私の表情はまさにこんな感じです↓
民法、税法、宅建業法、建築基準法など、新しく覚える項目ばかりで、未知なる宅建士ワールドの洗礼に心が折れそうになりました。
根抵当権?
なんのこと?そもとも何て読むんだ?こんていとうけん?意味が分からない・・・・・・。
頭の中はプチパニック状態です。
漢検二級と準一級を取得している知識が通用しないことを初っぱなから痛感しました。
今思えば宅建用語は漢検配当漢字外なわけなので、分からなくて当然なわけですが、「過去問回せばイケる」どころか、用語の読み方が???な連続で、開始早々心が折れそうになりました。
そんな気後れしていた私ですが、「漢検準一級に合格した」経験が底にあったため、受からないわけがないと最後まで自己暗示をかけて奮い立たせました。
漢検準1級学習当初も、合格ラインの8割など取れるはずがないと、分厚すぎる壁に戦慄を覚えたもののですが、不合格にもめげずに逆転勝利をつかめたので、諦めないことの重要性を意識することとなりました。
そうは言ってもそれは結果論で振り返られるのであって、学習当初は、まるであまりにも広大な砂漠に迷い込んでしまったかのように、どこからどう手をつけたら良いのか途方に暮れてしまいました。
基本書や過去問を開く以前の問題として、おびただしい量の学習を突破した経験が皆無だったのが大きかったです。
いわゆる高校・大学入試は一般入試ではなくて、小論文や面接といった一点集中型形式で突破してきたので、数ヶ月以上かけて取り組んだ広大な範囲の勉強耐性がありませんでした。
そのため、いきなり本編に入るために、全体像を把握してからでないと、とてもではないけれどスタートを切れそうになかったため、基礎の基礎として「マンガで覚える宅建」を購入しました。
一年目の試験日までに、私が行った勉強法は、6割がマンガを眺めて、残りの4割で過去問を一周回した程度の勉強量でした。
過去問の解き方は一度やってみたらそこで終了で、復習は封印していました。
当時の自分には、「分かったつもり」になって次に進まないと、とても全科目をこなせるような余裕がありませんでした。
この時の私は理解うんぬんより、「とにかく全分野を回し終われば、後は記憶力がなんとかしてくれるだろう」というお粗末な考えでした。
本気で勉強に取り組んだ経験が少なかったため、経験の裏付けが弱く、都合よく解釈していたのですよね。
そんな付け焼き刃な状態で本番を迎えましたが、試験問題を目にするまで、「ギリギリ合格できるだろう」という浅はかな自信が残っていました。
「法律系の国家試験で登竜門と位置づけられている宅建レベルならば、過去問を一周すれば十分受かる」という、誤った見立てを最後の最後まで持ち続けていたのです。
いざ試験問題を開いた次に瞬間、一瞬にして現実の厳しさを痛感して自分が間違っていたことを突きつけられることになるのです。
問題と答えが全く分からないのです。
日本語で書かれている日本の資格試験であることが前提なのに、問題の意味そのものが理解出来ず、選択肢それぞれを比べれば比べるほど迷宮入りして行くような感覚です。
「おっ!この問題は過去問で見たことがある」
という発見は皆無だったのは言うまでもありません。
自己採点の結果は壊滅的で、合格点からはほど遠い数字が残りました。
敗因は単純明解です。
「圧倒的に勉強不足」「圧倒的に理解不足」という圧倒的勉理(べんり)不足から生じた必然的な結果でした。
学習量が少なすぎるから、出題の意図や文章の意味を理解することが出来ないのは、至極当然なわけです。
「知っている」「見たことがある」「分かる」という感覚は、知識が蓄積しているからこそ芽生えるもので、私は過去問を1回解いただけで「分かったつもり」になっていただけなのです。
漢検や秘書検はひたすら過去問を丸暗記することで、全く同じ出題が続いて得点をつかめましたが、国家試験のような過去問ベースだけではなくて、違う角度から問われるような出題が相手になると、従来のやり方では通用しなくなることを身を持って知りました。
ましてはたった1周程度の学習量では、合格レベルに到達出来るストックが用意されているはずがありませんでした。
国家試験ともなると問題集を暗記しているのは当然という前提で出題が製作されています。
その最低限のラインすらクリアしていない私が合格に乗っかれるはずがありませんでした。
こうして自分の無知と無力さを味わったことから、「ただ過去問を丸暗記するだけでは受からない」と言う現実の厳しさを体感することになったのです。