20代までを振り返ると、ずっとずっと、苦手なあいつから逃げ続けてきました。
あいつの正体は「勉強」です。
大学入学までの私にとっては、何のために勉強をするのかの答えは、「単位を取るため」「進学のため」であって、不必要だと覚えるあいつについては、「やらない理由」をこじつけては、常に逃げ続けてきました。
私は数学が大の苦手で、中学時代は一桁の点数を連続で出すくらい、この教科に身体が拒絶反応を示していました。
高校に進学しても数字を見るだけで「自分には複雑すぎて理解できない」と弱腰になってしまうようになったのは、学生時代に植え付けられたコンプレックスが大きく影響していました。
臭いものには蓋式の人生を進めれば楽ですが、いざ社会に出るとそうはいかなくなります。
嫌なことでも逃げられなくなることや、今まで避けてきたことが巡り巡って自分の前にやってくることが多々あります。
20代前半に児童指導員の仕事をしていた際に、小中学生から勉強(宿題)を教えてほしいと頼まれる場面があり、冷や汗をかいたことが何度もありました。
社会福祉士試験や精神保健福祉士のカリキュラムでは、「苦手分野」というものが誰しも一つはあると思われます。
「苦手分野は最低限に、得意分野でカバーしよう」と唱え続けている私ですが、敢えて苦手分野にチャレンジすることで「常識の殻を打ち破った自分」と出逢うことが出来るかもしれません。
もちろん、第一優先は「合格」でしょうが、その合格の後に待っている幾多の困難にもめげないメンタルの土台を培えるようになるのです。
私が社会福祉士試験の事前学習で苦手分野ワースト3だった「社会調査の基礎」ですが、オリジナル語呂合わせを作りながら何度も何度も繰り返しているうちに少しずつイメージが膨らんで行く変化を感じ取ることが出来ました。
いざ本番で思いの他正答率が高かったことで、苦手だと思っていた課題も角度を変えれば、実は思い込みで、やってみないと分からないことを身を持って体感したわけです。
社会福祉士の仕事に就いた後も、統計資料を読み解いたり、エクセルで作成するような業務に取り組むことがありましたが、社会調査と基礎を乗り越えた経験が後押しして全う出来たような経験もありました。
そして、運命のいたずらのように、それから10年後に公認心理師試験で再び統計問題と向き合うことになり、「苦手なものから目をそむけていても、必ずいつかその問題が再び形を変えて目の前に訪れて、看過できなくなる」ことを実感しました。
今は苦手分野だと気が引けていても、あと一ヶ月とちょっとで意識変革が起こる可能性は十分に有り得ます。
やらず嫌いという言葉や、噛めば噛むほど味が出るスルメのような科目もあるからです。
本番では苦手科目だったのが得点科目になっていたという逆転ストーリーも、大勢の合格者が経験しています。
実社会でも苦手な人間や仕事と向き合わざるを得ない場面は避けられないでしょうが、この試験問題を通して、苦手と思っていた課題と向き合うことで、成長した自分で向き合えるようになれるかもしれません。
リベンジ合格を果たされてきた先人達の軌跡を振り返っても、不可能を可能にチェンジ出来たのは、最後まで諦めなかった人間の特権です。