今日で3.11から早12年が経ちました。
もう12年という月日が流れたのですよね。
みなさんは12年前のこの日、どこでどのように過ごされていらっしゃいましたか?
私はちょうど会社が休暇の日でした。
当時のことを振り返ってみました。
自宅でPCを開き、当時連載中だったマイナビ社とのコラムの打ち合わせメールを終えた後、一人で10キロ離れた千葉県某所に電車で向かいました。
運動をするためのスポーツジムでした。
5階建てのビルの中に入り、2階のジム手前のベンチに座って一息ついた瞬間、あの地震が発生しました。
一斉に上の階のエスカレーターからお客さん達が降りてきます。
阿鼻叫喚の声を発しながら、ものすごい勢いで外に向かって走って行きました。
「これはただことではない」
パンデミック映画で見たことがあるような光景が広がり、直感でここにいたらまずいと判断して流れのままにすぐに外に出ましたが、余震と街に響き渡るサイレンの煽りを受けて、人々は混乱状態でした。
すぐさま実家の親の安否を確認するために携帯から電話をかけますが、全然つながりません。
100回以上かけ直して、やっとつながるまでも余震が小刻みに襲ってきて不安を煽りました(親は無事でした)。
私は交番の隣にある公園に避難して、ガラケーのワンセグを使って事態を理解しようと努めました。
ちなみに私はその2か月後に買い替えたガラケーを12年経った今でも愛用しています。
ただごとではないのは体感的に分かりましたが、映像を通してその被害の規模を目の当たりにしました。
確かこの時点ではまだ津波の報道はなかったので、まさか東北の方でそのような事態が発生しているとは夢にも思ってはいませんでした。
私は自宅に帰らなければいけないというミッションに切り替えました。
そのまま留まって見続けているわけにもいかないので、傍にいた警察官同士の会話に耳をそばだてました。
「大丈夫。これは阪神淡路大震災の時よりは規模が小さいよ」
なんて余裕がある語気だったので、さっきみたニュース映像とは随分違うリアクションだな~なんて半信半疑に思いながら、帰りの途につくために駅に向かいました。
しかし、電車は上下線ともに運休状態。
便乗するかのように市営バスもすぐさま運休になり、タクシーは行列状態で使えず、もはや帰る手段は徒歩以外にはありませんでした。
それでも10キロの距離を歩いて帰ると決意するのにはとまどいがあり、もしかしたらもう少し経ったら電車が復旧するかもしれないという期待もあったので、2時間ほど近くのファミリーレストランガストで待機していました。
一向に復旧する気配がないので意を決して徒歩で帰ることになったのです。
帰り道も異様な光景で、大名行列のように、人々が歩きながらそれぞれの目的地へと向かっていました。
おかげで少し不安も解消できた記憶が残っています。
途中コンビニに数店寄りましたが、既にどこもミネラルウォーターとおにぎり、パンは完売状態で、人々の行動心理というものは共通しているのだと学ばされました。
ファミレスなども次々と閉店になっていきました。
なんとか自宅についた頃には疲労困憊でしたが、この先一体どうなってしまうのだろうかというかつてない不安から、なかなか寝付けませんでした。
忘れられない1日となりました。
さて、当時は第23回社会福祉士試験の合格発表を間近に控えた時期で(今年度と同じ3月15日でした)、会社の先輩が4度目の受験をして結果待ちのタイミングでもありました。
私が社会福祉士試験受験資格取得のために通信制大学に入学して1年目を終わりにしようとした頃です。
先輩はずっと70点台をうろうろしていたようでしたが、4度目の第23回試験は一念発起してラスト勝負をかけたようです。
後押しするかのように、会社が全面的にバックアップしていました。
休み時間にユーキャンの一問一答を使って、理解度確認作業として上司が先輩に出題をしたり、就業時間が終わった後に居残りで勉強を重ねていた日々でした。
その結果、2011年の第24回試験は90点を突破することが出来たようです。
もちろんリベンジ合格を果たされました。
そんな先輩の姿を目の当たりにしていて、「社会福祉士試験って簡単じゃないんだな」という印象を覚えたものです。
私は翌年の第24回試験に合格することができましたが、第23回試験終了後からネット上での受験生の様子をチェックしていました。
試験終了後からは第22回試験よりも難しかったという声が際立っていましたが、 合格発表4日前の3.11の日、地震発生後は大きな動揺が走っていました。
合格発表日を無事に迎えることができるのであろうかという不安な声。
家族や友人、知人の安否確認で合否どころではないという生生しい声がこだましていました。
未曾有な災害に見舞われた中、それぞれの背景で合格した第23回試験合格者の方々は並々ならぬ思いで社会貢献に尽力されていることでしょう。(そう言えば、ペーパー社会福祉士のうたかた日記の筆者も第23回試験合格者ですね)
先輩はその後精神保健福祉士も取得されて、念願の相談職として活躍されています。
両資格を取得した賜物でのポジションなので、資格の強みを感じずにはいられませんでした。
今日が特別な日だけに、なんだかいつもとは違うような内容になりましたが、12年前でもすらすら書けるくらい当時のことは鮮明に覚えています。
同時に、こうして今、文章を書けているというのはとても有り難いことであると再認識させられています。
あの震災をきっかけに、私は文章を媒介にして、「伝えること」の使命感がより増しました。
私も生きているうちに出来る限りのことを尽くしてメッセージを残して行きたい。
そんな思いを具現化する形でもこの絶対合格ブログが誕生したというルーツもあります。
あれから12年の時を経て、長丁場になった新型コロナ禍ですが、いよいよ週明けからマスク制限が個人の判断となり、転機を迎えようとしていますね。
みなさんの中にも、社会福祉士・精神保健福祉士試験を終えて、新しい一歩を踏み出されようとしている方もおられるでしょう。
この12年で未曽有な震災と感染症蔓延を経験したこと、そして世界情勢が緊迫している中で、「生きること」について、社会福祉士や精神保健福祉士が今できること、これからの役割についてとくと考えさせられました。
映画『すずめの戸締まり』も震災をモチーフにしており、私も映画館で観ましたが、生きることについて考えさせられます。
先日の社会福祉士・精神保健福祉士試験の合格発表日は変わりつつある現代社会で一筋の光が差し込む瞬間でもありました。
絶対合格ブログに寄せられた投票を集計している中で気づきましたが、前年よりも40代以降の受験生が増えている様子がうかがえました。
実際に公式の結果を見ても、30代以降が増加しています。
様々な事情で社会福祉士や精神保健福祉士資格を取得されて、新しいステップを踏まれようとされていることが想像させられました。
よろしければみなさんの震災への思いと資格との関係、今後の抱負なども聴かせてくださいね。