前回
試験が終わった後の電車内では、人目もはばからず男泣きしてしまいました。
ふがいなさやら、不完全燃焼感に支配されていて、制御することもできずに自然に涙が溢れ出た感じです。
自己採点以前に、直感で不合格を身体が予知していたのです。
かくして初の公認心理師国家試験に完敗した私でしたが、何よりも沈んだメンタルを回復させられないことには、リベンジ受験をスタートすることはできませんでした。
試験を落ちたことはもちろん悔しいし、しんどかったです。
こんなにも不合格という現実が胸に重く押しかかるとは、忘れていた感覚でした。
更に辛かったのは受験を応援してくださった方に、その事実を報告しなければならなかったことです。
私の周りに合格者の心理師が数名いたので、事前に受験することを伝えていました。
受験は独りで臨めたわけではありません。落ちたからと言って結果を伏せて報告しないわけには行かず、何とも言えない複雑な気持ちで恐る恐る伝えました。
「次回は必ず受かりますよ!」という温かいお言葉をいただけましたが、情けなさやら気まずさやらが拭えませんでした。
自力ではこの胸のしこりがどうしても払拭できずに、数年ぶりに精神保健福祉士試験をともに受験した短期養成学校の同期に電話をかけたりもしました。
彼女は私よりも10歳年上で、現在は放課後等デイサービスと就労継続B型支援事業所を立ち上げて運営している身でもありましたが、私のぼやきを温かく受け止めてくださいました。
「次回は必ず受かる。合格したらおいしい食べ物をごちそうするよ」
その言葉をお守りにしながら、それから10か月間、孤独な受験生活を耐え抜くことができました。
「人は人によって傷つき、人によって癒される」という言葉がありますが、かつて受験を経験した戦友だからこそ響くものがありました。
こんなに辛かったというのは、それだけ公認心理師試験への思いが強かったという裏返しであることに気づきました。
実務経験証明書を発行してくださった職場や元職場や、受験を応援してくださった周りの人間達に恩返しをしなければならない。
独りだけの受験ではないことを強く意識するようになると、一歩踏み出せる勇気が湧くようになりました。
そうして少しずつ、不合格の現実を受け止められて、絶対合格への決意を固められるようになって行きました。
過去問に全く手を付けなかった敗因を分析しつつ、2年目の勉強法は一新させました。
そう、私の代名詞でもある、過去問重視勉強法に戻したのです。
※2年目のリベンジ勉強法の詳細をまとめるのには時間がかかるので、別の回にまとめます。
そうして、日常生活に没頭しているうちに、あっという間に月日は流れて、気が付けば受験票が送られてくる時期の6月が訪れ、第5回公認心理師試験まであと一か月までと迫りました。
受験票が無事に届かないことには、受験すること自体ができないので、そわそわしながら待ちましたが、届いたのは日曜日の午後でした(金曜日に簡易書留で投函だそうです)。
真っ先に試験会場を見ると、運命のいたずらかのように、第4回公認心理師試験と同じ日本大学経済学部の本館でした。
「これは最後のチャンスで、過去を塗り替えるしかない」
そう確かに誓いました。
すぐに徒歩圏内のホテルを予約して、残り一か月のラストスパートに傾注しました。
書いて書いて書きまくって覚えるTAKA氏の学習形跡
試験日の前日は飯田橋のホテルに泊まり、持ち込んだ赤本を1ページから最終チェックして最後の準備を整えました。
宿泊したホテルの窓より
そして第5回公認心理師試験本番当日。
1年ぶりに日本大学経済学部本館に戻ってきました。
前回とは教室は異なりましたが、1年前のことが昨日のことのようによみがえります。
「今年こそは絶対合格」をスローガンに掲げた私は去年とは違うと強く鼓舞しました。
試験開始直前まで手書きで用意した心理検査のカットオフ値一覧を心の中で何度も反芻させていました。
今回私が受けた会場の空席はないくらい受験生でいっぱいで、左を見ても、右を見ても赤本使用者が多数いました。
東京都の新型コロナウイルス感染者が1万人を超えていて、Gルートにおいてはラストチャンスでもあったので、相当なプレッシャーで臨まれた方も多かったのではないでしょうか。
その証拠に、試験開始直前に(もうトイレは行けない時間帯に)、トイレに行くために挙手をした受験生が4人もいました。
この光景は第4回試験とは異なり、明らかに第5回試験はピリついた空気が流れていました。
かくいう私も試験開始の2週間くらい前から「もう次はない」というプレッシャーから、胃腸の調子が悪い状態が続いており、試験当日も万全ではなかったので、経口補水液とチョコレートを持ち込むというくらいの状態でした。
間もなくして問題用紙が配られて、深呼吸をして開くと、問1から癖ありの問題が待ち構えていました。
「いきなり絶望」と評された、あの要配慮個人情報問題です。
その問いを見て、やはり今年は難化できたかと確信しましたが、ここで負けたら一生後悔するとばかりに気合で乗り切りました。
※試験当日の詳細は別の回でお話します。
去年の雪辱を晴らす如く、最後の最後まで闘い抜きました。
今回も時間ギリギリまで奮闘し、試験が終わった頃には全生命力を使い果たしたくらいのコンディションでした。
帰ろうとして立ち上がったら、思わずよろけてしまい、傍にいた試験監督員から「大丈夫ですか?」と心配されたほどでした。
肝心の試験の感触はどうだったかと言いますと、午前科目を解いているうちに、昨年度と違って、正解の自信がある問題が複数あり、「これは受かったかもしれない」という希望が湧いたのを覚えています。
そう感じられたのは、学習法を変えたことの効果というのもありますが、第4回試験を経験しているからこそ、その差に敏感になれたのです。
卒業できるかもしれない未来予想図を描ける程の余裕ができる瞬間も訪れました。
ところが、やはり国家試験というものはそれほど甘いものではありませんでした。
午後問題全体を通して第4回試験並みにできた感がなく、「もしかしたら今回もダメだったかもしれない」というあの時のような不安に支配されました。
※試験当日の心境については別の回でも触れます。
それでも、全体的には第4回試験の時よりも解けた感が残ったので、「これだけ難しかったということは、合格点も138点に下がるかもしれないし、自己採点次第」と、合格への望みを抱き、間もなく公開される模範解答に期待しつつ自宅へ戻りました。
一年間とは違って、ベストを尽くせたことで、疲労感の方が勝っており、涙は流れませんでした。
合格発表日編に続く