「本当の勝負は絶望してからが本番です」
この言葉は、公認心理師試験対策予備校のプロロゴスの山崎有紀子先生が「第4回公認心理師試験 試験本番の心構え」で、かけてくださった名言です。
当時の私は、まさかその言葉が公認心理師試験当日だけではなくて、絶望してから約1年間も向き合い続けることになるとは、夢にも描いていませんでした。
↑当日、試験開始前に記録用に撮影した写真ですが、今日まで一度も見直していませんでした。今回ブログに載せるために約1年ぶりに引っ張り出しました。
令和3年9月19日の朝、私は東京都日本大学経済学部のキャンパス前に立っていました。
私はGルートと呼ばれる実務経験と、現任者講習を経て、今日この場にたどり着きました。
試験の自信があるかどうかと言ったら微妙でしたが、自分なりにやれることはやったという思いはありました。
詳しい事情は後述しますが、私が受験を決意した時点で、残り2回しか試験のチャンスが残されていなかったので、第5回試験までに合格を勝ち取れればという思いで初受験に臨みましたが、そうは言っても受けるからには一発合格を誓って会場入りしました。
新型コロナウイルスの影響で、一人一席で用意されており、受験層は自分より年上の40~50代くらいの年代が多いように感じられました。
色んな受験事情で受験しているのだろうな~、福祉職か心理職に携わっている人間が多いのだろうかと想像を巡らせていましたが、いざ試験問題を開いてからは、そんな周りを見渡す余裕が微塵にも消え去るくらいの展開が待っていました。
午前問題を開くなり、冒頭に掲げた通りの「絶望」が襲ってきたのです。
この絶望は、決して一時的なレベルでなくて、試験最後までつきまといました。
全77問、得点源の事例問題を含めて、自信を持って解ける問題があまりにも少なかったです。
とっさに10年前に受けた社会福祉士試験の午前科目の手応えの無さを思い出しましたが、当時と何か違う感覚が拭いきれませんでした。
その違和感は少し後で判明しますが、シンプルに、本試験に立ち向かえるだけのレベルに達していなかったのです。
悪戦苦闘の午前科目が終わり、つかの間の休憩時間になりましたが、私は気持ちが切り替えられずに、気になっていた問題数問をスマホで調べて自己採点を行いました。
全問不正解で、それも、直感で選んで正解になるはずの問題を3問くらい(午後は2問)変更してしまい、全て間違っていたという始末です。
タラレバの話ですが、もしも直感を信じてそのまま提出していたら、合格していたわけですが、そういう判断を下したのも全て実力不足を痛感せずにはいられませんでした。
社会福祉士試験の場合は、午前中科目の方が難しい回が多く、午後の専門科目で挽回することができます。
ですが午前科目を終えた段階の私は直感で、受からない予感に支配されていました。
この感覚は未だかつて経験したことがないものでした。
午後に気持ちを切り替えようにも、やらなくても良い自己採点で引きずったまま迎えることになりました。
午後の問題用紙を開いても、午前科目と同じくらいの壊滅状態でした。
はっきり言って手応えというものが皆無に等しい。
途中退出どころか、時間ギリギリまでもがきましたが、こんなに自信を持てない試験はいつの日ぶりかというくらい達成感がありませんでした。
試験終了後は満身創痍で、まるで廃人のような状態。
帰り道に寄った東京駅は、この世の終わりというくらいセピア色に見え、この場からいなくなってしまいたいくらい絶望的な気分に押しつぶされていました。
まだ全体的な自己採点を行っていないのにも関わらず、「落ちた」という絶対的な自信が植え付けられていました。
数々の資格試験を受験した私の中でも初めての感覚で、「こんなはずではなかった」という暗澹たる思いを抱えたまま、今にも泣きそうな気持ちを抑えきれずに顔面蒼白でフラフラと帰りの途に着きました。
その晩、一縷の望みをかけて、最速で公開された和光大学高坂先生の模範解答に照らし合わせましたが、午前も午後も手応えのなさ通り壊滅的で、結果的には133~136点となりました(午前71点午後65点前後)。
この年は事例問題で意見が大きく分かれた問題があり(問154)、里親委託を選んだ私にとって、3点が動く分岐点でした。
後にプロロゴスやIPSA、ファイブアカデミーの模範解答と照らし合わせても、最高で136点には変わりありませんでした。
過去3回の合格点が138点なので、自己採点の時点で合格の可能性はないに等しい現実を突きつけられました。
ですが、かすかな期待が宿っていたのは、相対評価の公認心理師試験は、社会福祉士試験のようにもしかしたら全体の出来具合が悪ければ初の138点以下になるかもしれない。正式解答次第で合格の可能性があるかもという淡い期待は残りました。
試験終了後少したってプロロゴスから試験分析及び自己採点データ分析が公表されましたが、「今年は例年よりも受験生の出来が良い」という評価をされて、私の中で不合格の覚悟がほぼ固まりました。
138点以下の私にとって40日間は伸るか反るかでそわそわするというよりも、奇跡的に受かるかもしれないというかすかな希望を抱いていた期間だったので、針のむしろのような時間には感じませんでした。
合格発表日の1週間前になると、「もしかしたら受かっているかもしれない」という都合の良い希望が湧いてきて、わくわくしながら当日を迎えたのを覚えています。
合格発表日、ネットで真っ先に自分の番号を確認すると、そこに自分の番号はありませんでした。
あまりにも試験の手応えがなく、自己採点でも138点以下だったので、やっぱりかと言いますか、意外性はなかったのですが、何より驚いたのが合格点と合格率の高さです。
143点、58.6%というともに公認心理師試験史上初の高水準でした。
確かに、受験番号を見ても、私の前後で不合格だった人間はほとんどいませんでした。
反対に言うと、143点を超えても6割も合格しているのに、自分は半分以上に入れなかった現実を知り、みじめな気持ちに苛まれることになりました。
試験中に感じた圧倒的実力不足は勘違いではなかった。
案の定自分が一発合格できるレベルには到達できていなかったことを痛感しました。
その翌々日に合否通知が届きました。
135点で、合格点まで8点も足りませんでした。
この8点の壁はあまりにも分厚かったですし、再三申し上げますが、自分の実力不足を認めざるを得ませんでした。
例年よりも難易度が低かった問題で、合格点6割以下だったわけですから。
初めて受けた公認心理師試験は不合格。
社会福祉士試験も精神保健福祉士試験も一発合格できた私にとっては計算外で久しぶりの挫折体験でした。
最後に不合格になったのはいつだろうか、覚えているのは2011年に3回目でようやく受かった宅建士試験以来だったかと思います。
不合格というものがこんなに辛いものだったとは、忘れていたというよりも、今回初めてと言っていいくらいな筆舌に尽くしがたい感情に支配されました。
応援してくださった合格者仲間や、実務経験証明書を発行してくださった会社になんと言ったら良いのか。
絶対合格ブログの受験生に示しがつかない。
合格発表直後は沈んだメンタルを立て直すのに時間を要しました。
この痛い体験を伏せて、第5回試験に合格できたことだけを公開すれば、メンツは保てたのかもしれませんが、私にとっては「絶望からのリスタート」を成し遂げたことを包み隠さず発信させることが、受験応援隊としての責務であり、公認心理師試験への恩返しの一つだと結論付きました。
絶望からのリベンジ受験、私にとって最後のチャンスである第5回試験の幕を切ったのです。
続く
次回予告
なぜ不合格になったのか、どんな勉強法で挑んだのか、敗因の分析をお話していきます。